携帯用の般若心経の教本とレコーダーの前に小学生の子供を連れた母親が商品を見ていた。
レコーダーには般若心経の読経が録音されている。
子供「お母さんおもしろいよ」
母親「うち死んでいる人いないから!」
終了!
であった。
子供の興味もその一言で切れてしまった。
「これはね、「つまらないことには気にするな」って言っているんだよ」
って、ちょっと要旨を話してあげたら、子供の好奇心はどんどん膨らんでいくだろうに。
子供が将来、人生の山坂で悩んだとき「お母さんこんなこと言っていたな」となるかもしれないじゃない・・・
教育の機会をひとつなくしたな。と思った。
TONは二十歳を過ぎた頃、一人の親友をなくした。
同じ趣味(引きずり込んだのだが)の自転車で木曾を走り、伊勢を走り、同じ汗を流し、人生を語り、悩みを話しながらの友人関係を続けていた。よき相棒だった。
ある日仕事中に彼の父親から電話が入った。
豊が死んじゃったよと電話口の向うで嗚咽していた。
山岳部出身の健康もりもりだった奴が・・・
「首をつった」
彼の父親の言葉の後に続ける言葉は自分にはみつからなかった。
それまでも悩み多きTONの人生観だったけどこの瞬間、音を立ててブッ潰れた。
(漫画の表現にショックを受けた時「ガーン」という表現方法をとるが、これは本当にそうなのだ。そうなる。本当にショックな時って「ぐわぁぁぁん」って頭の中で響くのだ。余談だが・・・)
「なるようにしかならないよね」
今日、目黒の若旦那(お客様です)と電話をしているときにふと出た言葉だった。
自分が友人の死後いろんな道を模索していた頃、般若心経に出会い、お経の内容に感動した。
お経は決して死んだ人に聞かせる言葉ではないと思った。事実そうだった。
生きている自分がどう生きるか、生きるべきか、のヒントを投げかけてくれているのが仏陀のことばなのだ。
あらためて当時のことを思い出させてもらった。