水晶ではありません

ダイヤの代用に使われるジルコン。

比重が重く、屈折率がよいので、水晶のカット玉とは比べ物にならない輝き方をします。

経典って

携帯用の般若心経の教本とレコーダーの前に小学生の子供を連れた母親が商品を見ていた。

レコーダーには般若心経の読経が録音されている。

子供「お母さんおもしろいよ」

母親「うち死んでいる人いないから!」

終了!

であった。
子供の興味もその一言で切れてしまった。

「これはね、「つまらないことには気にするな」って言っているんだよ」
って、ちょっと要旨を話してあげたら、子供の好奇心はどんどん膨らんでいくだろうに。

子供が将来、人生の山坂で悩んだとき「お母さんこんなこと言っていたな」となるかもしれないじゃない・・・

教育の機会をひとつなくしたな。と思った。

TONは二十歳を過ぎた頃、一人の親友をなくした。

同じ趣味(引きずり込んだのだが)の自転車で木曾を走り、伊勢を走り、同じ汗を流し、人生を語り、悩みを話しながらの友人関係を続けていた。よき相棒だった。

ある日仕事中に彼の父親から電話が入った。
豊が死んじゃったよと電話口の向うで嗚咽していた。

山岳部出身の健康もりもりだった奴が・・・

「首をつった」
彼の父親の言葉の後に続ける言葉は自分にはみつからなかった。

それまでも悩み多きTONの人生観だったけどこの瞬間、音を立ててブッ潰れた。
(漫画の表現にショックを受けた時「ガーン」という表現方法をとるが、これは本当にそうなのだ。そうなる。本当にショックな時って「ぐわぁぁぁん」って頭の中で響くのだ。余談だが・・・)

「なるようにしかならないよね」
今日、目黒の若旦那(お客様です)と電話をしているときにふと出た言葉だった。

自分が友人の死後いろんな道を模索していた頃、般若心経に出会い、お経の内容に感動した。

お経は決して死んだ人に聞かせる言葉ではないと思った。事実そうだった。

生きている自分がどう生きるか、生きるべきか、のヒントを投げかけてくれているのが仏陀のことばなのだ。

あらためて当時のことを思い出させてもらった。

花川戸の船着き場工事

スカイツリーがおかげでようやく本格的に川辺の文化に人の気持ちが熟してきたように思う。

膝の痛みが出るようになってから、墨田公園を朝走ることがめっきり減って、工事がどこまで進んでいたか今日知った。

ここは丁度、古い言い方で言えば浅草寺北谷。最近は二天門通りと隅田川との交差点。


川に並行している江戸通り。

川の堤防に水上バスが横付けできるように改良している真っ最中なのだ。
これが完成すれば、日本橋や羽田からのクルーズも行なわれるのだろう。

もともと江戸の町は水の都だったわけで、川から目を背けてきたのが、ましてや命の原潜である水を汚してきたことが、都市を病気にし、命を削らせてきた。

ようやく再び水辺に戻ろうとしている。

きっと活力が戻ってくるだろうことは目に見える事実だ。

ちなみにこの花川戸(古くは山の宿)の川岸は、浅草寺駒形堂のある駒形と同様に、浅草寺で祀られる観音像の1400年前に揚陸した土地として伝説の残る土地なのである。

今年は三社祭りが始まって700年という節目の年。

記念行事として60数年ぶりに川渡ぎょが行なわれる。

今回は駒形の地が揚陸の場所となったのだが、実は江戸の御世までは、観音像が揚陸したのは駒形と山の宿と二箇所と誰もが知っていて、どちらも因縁の地として大切にしていた。

それを証拠に、三社祭りで神輿を揚陸させる行事は、浅草御門から舟で上がってきた一之宮、二之宮、三之宮の神輿は二箇所を隔年として揚陸していたと文献に残っている。

その山の宿(花川戸)に、船着場が戻ってくることは、不思議な因縁を感じる。