指折り数えてみたら・・・・
ちょうど昨年の今日、つまり平成23年11月9日に念珠堂の所属する雷門一之宮商店会の有志と東京藝大の学生さんとで、東北大震災の被災地に向かった記念すべき日だった。
まず通称猫島と呼ばれる宮城県田代島へ大猫「御縁門」を搬送しなければならなかった。
少ない商店会の予算をやりくりしながらかつ、多くの人の善意をも募ってそれは実現した。
何百Kgもあろうという「御縁門」はそう易々と動いてくれる代物ではなかった。
ここでちょっと「御縁門」の素性をおさらいしておきたい。
東京藝大の藝祭(大学祭)が毎年行なわれるそのメインイベントとして学部ごとの意匠を凝らした神輿が芸術家の卵たちの手によって創作される。もともとの生みの親はデザイン科の若き芸術家の卵たちということになる。
しかし、誠心誠意造られたものでも藝祭が終われば通常は惜しげもなく解体されもくずとなる。
御縁門も同じように製作された。
ただ違っていたのは、その完成度の高さと、学生たちの入魂度が違った、言わば魂の入れ方が極端に強かったのだと思う。
丸の内賞という栄誉ある賞を取り、東京駅前の丸ビル内に展示される誉れをいただいた。
たかが学生の大学祭の神輿にである・・・・。
たかがではあるが、たかがでなかったと言うべきなのだろう。
が、これらのおかげで丸一年延命したのだ。
しかし、解体の運命の期限は間際にせまっていた。
「里親募集」「このままでは殺処分になります」
が、この巨大猫神輿(五右衛門という)の行き先募集のキャッチフレーズだった。
当商店会会員がこのフレーズに魅せられた。谷中にあるねんねこやという一風特出した(変わったというか・・・)お店にて縁が生まれることとなり、さらに製作者である東京藝大デザイン科の責任者たちとの縁が繋がった。
何件かすでに里親先のめども見えていたようで、大きな支度金も用意した所もあったようだが万難を排し、雷門一之宮商店会が里親として引取ることとなった。何より個人所有とするのではなく多くの人の力になるようにしたいというのが彼ら製作者たちの意思であったようだ。
ここからがまた一苦労はあったが当初の予定の商店会だけの守り神とするのではなく、広く見ていただきたい動機から浅草神社に仮奉納とさせていただいた。
終生ここに落ち着くはずもないわけで、ならば一番ふさわしい場所はどこかと模索すると、東北大震災にて多大な被害を受けた宮城県石巻市の海上に浮かぶ田代島、別名猫島が声を上げてくれた。
浅草神社神楽殿横に3ヶ月鎮座し、多くの善男善女たちの参拝を受けた。文字通りご神体としてご分霊をいただくような猫神様としていたわけだ。
名前も五右衛門からご縁の門「御縁門」と改名しその日を待った。
そして、北に向けて動く時がついに来た。
「平成23年11月9日水曜日」天候晴れ。
田代島にゃんこプロジェクトメンバーと。
北に向かったその足は、岩手県大船渡に向かった。
海沿いの道路を遡上する光景は、一同涙を禁ずることはできなかった。
小学校を訪れた11月11日は震災後半年目。
こんな節目の日に表敬訪問することとなったのはどういう縁だろう・・・・。
大船渡小学校にて
4月に贈呈した商店会からの寄せ書きも小学校内に展示されていた。
夕方には海に沈んでいたあの町並みは復興されたのだろうか・・・・
あれからもう一年・・・・