ペット位牌

ペット・・・つまり愛玩動物。
愛玩を辞書で調べると「かわいがって大切にすること。」
ということになる。

「大切」とは
もっとも必要であり、重んじられるさま。

ということになる。

そこには情の深さ重さが注がれているということなのだろう・・・

血は水よりも濃いというけれど、どうやら血のつながりの有無よりもどれだけ捨て身の情を注がれてきたのかということが肉親の情、親子のつながりとして残るものなのだろうと感じざるを得ない。

最近のニュースには、耳を疑いたくなるような子殺し、親殺しの悲惨な情報が伝わる。
ニュースには伝える側の論理もあるのかしれないが、客観的事実だけを伝えておしまいになるからいつも消化不良を起こす。嫌な後味だけが残る。

社会はどんどん悪い方向に向かっているのかとの印象すら受ける。
伝え方も重要だと思う。

さておき、子殺し親殺しなど、僕の子供時代は伝わらなかっただけなのかなんなのか、耳にしたことがなかった。
自分を犠牲にしてでも子は活かす。そんな親子の情がまだ生きていた時代だったような気がする。

情をかけるということ・・・
自分の投影なのなだなと思わされる。
自分の本当の価値を知り自分の投影としての子に情をかける。

ペットはその主人によく似る。
本人はわからないだろうが、第三者から見ると仕草も顔もよく似てると思う。
自分をそこに投影して情をかけるということに関しては、全く同じなのだ。

だからつまり言いたいのは、ペットとは愛玩という言葉では表現しきれない対象なのだということで、我が子と同じなのだといいたいのだ。
我が国ではそういう意味からして動物の立ち位置が低いような気がするのだが・・・考えすぎだろうか。