仏像の修復

仏像の修復を受けることもしばしばあるが、その度にため息が出る。
鎌倉期のものはさすがに少ないが、江戸期の在家ものでもうんと唸らせられる。
ここ20年は中国物(その前は台湾)が中心の仏壇業界。

初期の頃の台湾の仏師には仏師の心のこもった仏像も見ることができた。
年を追うごとにあきらかに分業で制作されていることがありありした製品(あえて)が見られるようになって、感動が薄くなっていく自分に気が付くことしばしばとなる。

仏像の修復のご依頼を受けるとそれを見る楽しみはいかばかりだろうか。

昔の仏師はイメージをそのまま木に投入した。
画家がデッサンをするがごとくに頭の中の佛の姿をノミ一つで木の中から拾い上げるのだ。

ノミ痕鋭く佛の形となっている。

一見荒く見えるその像になんとも暖かい佛の血が流れて見える。
そんなわけで、江戸期以前の仏様を見る楽しみは当分続きそうだ・・・


制多迦(せいたか)童子の表情もいい。

止まる時

朝の番組で宮城県石巻市の養生に浮かぶ田代島、別名猫島の今を放送していた。
そうか・・・

被災の年に復興の手助けとなればと、どデカイ猫のオブジェを猫島まで持っていった時のことを思い出した。

画面に映る猫島の風景に災害の爪あとは見えなかった。
地盤沈下で海水面に没した埠頭も、5mを越す堤防を軽々乗り越えて海辺で作業していた漁師のお母ちゃんたちを呑み込んだ津波の残した残骸も、瓦礫の山も、綺麗に補修されて新たな漁具小屋や作業小屋も建ちどこにでもある平和な漁港を映し出してしる。

でも僕が伺ったときは縞が傾いているのか僕が傾いているのかと思われるほどの悲惨な光景が此処彼処にあって目と心に飛び込んできた。


朝起きると街の影すらなくなっているのが痛々しかった石巻港。


小さなフェリーに乗らないのではないの?と危ぶまれた。。。


山のように積まれていた石巻港。


待っていた猫たち。


ここでも・・・


ようやく安住の地に。

もうこんな光景は見たくないなと思う心と忘れてはいけないという心とが同居して今にいるのだ・・・。

M氏

今朝店に出ると、懐かしい顔が目に飛び込んだ。

御歳90歳になるM氏。
店を創業して以来お付き合いしていただいているお客様だ。

「おはようございます。お元気そうですね」
僕が声をかけると、

「?」
不思議そうな顔をしている。
ちょっとあって、
「社長?」

「はいそうですよ」
と、ぼく。

「もう90だよ。歩くのも大変なんだ。けどここに来たくなっちゃってね」
まず自分が年取ったことを正直に吐露する。そういう人なんだ。

「みんなふけたなぁ」
で、これを言いたかったのだろう・・・
そういう人なのだ。

名古屋出身でその業界では一目も二目も置かれる重鎮なれど、実に気さくで会社が近くにあったときは毎日のように店に立ち寄っては訓戒してくれた。

商売はこうあるべきだよ。

こんなことをしてはいけない。

耳にタコができるくらい商売の先輩として教えてくれた。

ある日、若い時に新聞に取り上げられた記事のコピーを持ってきてくれた。
そこには僕と同じくらい若いM氏のやり手の経営者の一人として鋭い目をして写っていた。
その記事を読んで正直な感想を述べた。

感心してくれた。
一新参経営者としてのぼくを先輩経営者として見てくれた日だった。

付き合い方に微妙な変化がその日以来感じることができた。

もう二十年も前の話しなのだが。

彼の眼差しを見るとふと思い出すのだ。

これから何年お付き合いできるかわからないけど長生きしてくださいねと思いつつM氏の背中を追っていた。