まがたま

勾玉のままにしていてはイメージが湧かないようなので、ストラップに
制作してみました。

浅草のそら

今日は、国産ジェットMRJの初飛行ですね。

先ほど実況を見ていました。
みごとフライトに成功!

敗戦で飛行機開発に制約が入れられ、戦後初としてYS-11がプロペラ機として就航しましたが、それ以降は独自開発のなかった日本の航空産業にようやく一灯が灯りました。

実にうれしいなぁ・・・

我が内なる開国ということ

TONは梅栄堂の薫りがこの仕事についてからこの方好きなのである。

日本香堂では、沈香青雲。伽羅大観。沈香寿山。

まあとにかく自然の香木の香りが大好き。

煙の少ないものつまり微煙香が世の中の主流になってしまった感のある昨今だが、煙が少ないということは、香りを乗せるための分子、キャリアが少ないということになる。

だから微香であるとも言えるわけだ。

フランスの友人に頼まれたからと梅栄堂の商品を頼まれ買いにこられた。

さんざん探して、当店に行き着いてくれたらしい。

「香水の本場でこの香りですか?」と店のものが尋ねると

「この薫りがベリーグッドなの」だそうである。

もちろんフランス語で言われたのだろうが。

お墓に使う束になったお線香を大量に買っていかれる外人もいらっしゃる。
自分も含めたごく一般の日本人ならだれでも不思議に思うことだろう。

けれど、聞くとベリーグッドなのだそうだ。

我々日本人には、お線香=お墓参りorお葬式=縁起が悪い という回路が出来上がってしまっているようだ。

グローバリズムの波が押し寄せて日本のあらゆるものが開国を迫られている。

でも開国しなければならないのは、じつは我が内にあって常識という殻に守られ続けているものなのではないだろうか。

行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし

朝、SNSでやり取りしていた広島の友人とお身内二人を癌で亡くされた話をしていた。
様々なストレスを抱えることが人間の免疫力を弱めるということ。

コーヒー屋のマスターの友人と立ち話をした。
ショップを開店の時に遠くから手伝いにこられていたご両親のことが気になって尋ねた。
お父さんが大腸癌を克服されたという話が飛び出た。

癌を医者から宣告されたあと、体調を崩し見るも無残な容姿になった。
諦めきれず病院をいくつも替えてみた。どこも芳しくない回答しかいただけなかった。
人は短時間でここまで変わるのかと思うほど衰えた。
4軒目の病院で、「問題ないですよ」と癌を否定された。

信じられない回復力を見せた。
今は全く問題なく元気に暮らしているという。
ストレスが癌を作ると正直思ったと言っていた。

医者という権威の言葉がどう相手に伝わるかを、いかばかりわが身に置き換えてながら、宣告しているのだろうか。。。
医療の技術は日進月歩。急激な進歩を遂げているのに・・・
医療技術の向上に比例して扱うものの精神性が成長しているだろうか。と。

11月10日は高倉健さんがお亡くなりになって速や一周忌となる。

「行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」は高倉健さんの座右の銘であったと聞く。

この言葉は無量寿経の歎仏頌(たんぶつしょう)の一節にある。

歎仏頌は阿弥陀仏が仏になる前、つまり求道者のとき、師となる世自在王仏の前で師を讃え、自分も人々を救いたいという決意を述べたお話、つまりお経である。

光顔巍巍 威神無極 如是焔明 無与等者
日月摩尼 珠光焔耀 皆悉隠蔽 猶若聚墨
如来容顔 超世無倫 正覚大音 響流十方
戒聞精進 三昧智慧 威徳無侶 殊勝希有
深諦善念 諸仏法海 窮深尽奥 究其涯底
無明欲怒 世尊永無 人雄師子 神徳無量
功勲広大 智慧深妙 光明威相 震動大千
願我作仏 斉聖法王 過度生死 靡不解脱
布施調意 戒忍精進 如是三昧 智慧為上
吾誓得仏 普行此願 一切恐懼 為作大安
仮使有仏 百千億万 無量大聖 数如恒沙
供養一切 斯等諸仏 不如求道 堅正不卻
譬如恒沙 諸仏世界 復不可計 無数刹土
光明悉照 遍此諸国 如是精進 威神難量
令我作仏 国土第一 其衆奇妙 道場超絶
国如泥&# 而無等双 我当哀愍 度脱一切
十方来生 心悦清浄 已到我国 快楽安穏
幸仏信明 是我真証 発願於彼 力精所欲
十方世尊 智慧無礙 常令此尊 知我心行
仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔

最後の一行、「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」がそれに当たる。

仮に自分の行く道に辛いことがあるとしても、精進である。自分を高めるために必要なことなのだ。

それを我慢し、たとえそれで終わるとしても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない、という事。

TONにはまだまだそこまで達観できず、まだあっかんの段階でしかないのだが、せめて目前の全ての事象が、自分にとって精進のための「越えられる難関」感謝する材料なのだと思える気持ちの余裕だけは持ちたいと思うのだ。