夕べは浅草神社の三基の神輿が浅草寺の本堂内にあげられてお泊りされました。
堂上げと呼びます。
神社のお神輿が仏教のお寺に?と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
けれど、これが日本の仏教なのです。
江戸期までの日本の宗教は、神様と仏様が仲良く手をつないでいたのです。
とくに浅草神社のご祭神のお三方は実在の人物。浅草の郷士と言われる土師中知(はじのなかとも)、観音像を隅田川(当時は海)から掬い上げた桧前浜成、桧前竹成の漁師の兄弟です。
そのご祭神のご子孫が観音堂をずっと守られてきたのがおもしろい所です。
江戸期にはいると、徳川家康からその身分を保証され、専堂坊、斎藤坊、常音坊という名称を頂き、半僧反俗、妻帯という特権を持って代々受け継がれていくのです。
ですので、お坊さんだけで運営されている今の浅草寺とはちょっと色合いが異なりました。
ま、横道に少しそれてしまいましたが、観音様が示現したその日を祝ったその日が3月18日ということで、明治維新までは「観音祭り」として寺も神社もない渾然一体化したお祭りだったのです。
山鉾のような煌びやかな山車を各町で持ち、浅草御門(今の浅草橋)まで引き回し三基の神輿は舟で駒形もしくは山の宿まで運ばれその岸から上陸しました。
今の浅草の範疇を超えて盛大に行われていたのでした。
今の三社祭りとはだいぶ様相も違っていたようですね。