浅草裏道点描

TONの生まれた街にもよく似た景色があった。

そこで育ったせいか、戦後のドヤ街を思わせるゴミゴミさがどこか居心地が良かった。

世紀をまたぐ付近から街は急速に近代化していってしまった。

どこかよそよそしさが漂う均質な風景に衣替えしていってしまった。

浅草にはまだその縁(よすが)が残像のように残る。

都市計画や防災計画上は耐えられないことは十二分理解している。

けど・・・

そこに惹きつけられるのは、人の曖昧さ、矛盾性が形を顕しているからなのか・・・

一株から天を覆う藤棚となる。

もうこんな風景も見えなくなるのだろうか。

梅雨の前にすることは・・・

こういうことを経験したことはないだろうか。

急にお葬式が入って、慌てて喪服の用意をししばらく使っていなかった念珠を仏壇の引き出しから出して、持ち上げた途端にパラパラ・・・・

あれ?全然使っていないのに、もう切れちゃうの?
さぁどうしましょ。

なんてこと?

はい。その犯人はここに写っています。

今でこそ人絹の糸を通し糸に使いますが、虫の幼虫には格好の御馳走のようです。

梅雨の湿り気の次期、念珠は防虫香を添えた桐箱の中に入れておいてほしいものです。