子供の目

TONの子供が小学生の時(もう一昔ではきかない)に、グループ研究で5~6人の小さい記者たちが来店しお店のことについての取材を受けた。

子供の感受性は本当にすごい。

大人は経験値や因習というオブラートが邪魔してしまい、当たり障りのないことしかその目に映らなくなってしまっているようだが、子供は踏み込んでまっすぐに見る。だから楽しい。

そんな子供の目で見た念珠堂というのはこういうものだったらしい。

取材協力のご褒美に子供たちが研究発表に使用した当店の絵をいただいた。

当店の宝だ。

影が薄いぞ・・・

今月第三日曜日は「父の日」ですね。

え!忘れてたって?

シオシオのパ~(死語)じゃないですか。

母の日は、どの業界もこぞって盛り上げているのに・・・
一家の大黒柱(これも死語?)のお父さんに感謝する父の日はなんと影の薄いことでしょうか。

ググってみるとなるほどと思わされます。
以下のとおりです。

1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。

母の日は1907年に制定された(アメリカではね)といいますから、3年遅れの制定となるわけです。

どうでしょう。父の日香っていうのは。

父の背にはお父さんの何が表れているのかな・・・