泣いても笑っても今年もあと四ヶ月。
浅草のそら
浅草のそら
どうしましょ
手袋して作業していたんだけどなぁ・・・
テレピン油使っても全然とれない。。。
しっかり染み込んじゃった。
仏壇をいじるとこうなる。
白い房や白い正絹糸はしばらく扱えないな・・・
生漆。
でも、面白かった。
空気に触れるとどんどん変化していく。
漆=JAPANだもん。
もっと大事にしたい素材だね。
浅草のそら
多宗教主義
我が店、念珠堂はつくづく宗教のデパートだと感じさせられる。
当店には仏壇の数が極端に少ない。
だからと言って仏壇を販売したくないのではない。
仏壇ほど仏教東遷の影響下で時代時代の文化の片鱗を吸収している文化的価値の高いものはないと思うし、何より見ていて飽きない。
特に江戸仏壇のごとく手作業の作り手の癖の入る工芸品は魅惑的ですらある。
けれど、40本近くあった仏壇を整理して江戸仏壇と厨子型仏壇に集約してしまったのには訳がある。
そもそも仏壇店の脇役であり、隅にに置かれていた仏具や線香類に主役の座を与え、生きた仏教を目指す考えは自然と写経用品や巡礼用品の品揃えに充実度が上がらざるを得なかった。
すると、仏教(神道も含め)の店を標榜していながらキリスト教圏のお客様に「オー!ミュージアム」とインバウンドの期待されていなかった30年前から足繁く通って下さるお客様が増えた。
世紀を超えるあたりからは、ヒジャブ(イスラム教の女性が使用するスカーフ)を頭につける女性の姿もチラホラと増え始め、ここ数年はイスラム圏の人口の多さを改めさせられた。
今日はイエメンの方だろうか。
全身を墨染の衣装に目の部分だけを開けた二カーブのお客様がご来店された。
あまり目にすることはないがとても清楚で美しく感じる。
こんなことを思いながらやっているせいか飽きないでいられるのかも。
なんだか楽しい。
そういえば、TONが最初に設計し創らせてもらったお墓は、横浜の外人墓地にあるイスラエルのお墓だった。東京広尾にいらっしゃるラビのもとに墓碑の文字の確認に足を運んだのを思い出す。
念珠の延長には、カソリックのロザリオは何度も創らせていただいたし、イスラムのタスビーもチベット仏教のお数珠も・・・
こんなお店ってめずらしいのかもしれないけれどね。
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
少し田舎に行ってましたが、暑かったけれどキッカリの暑さ。
東京は、どよ~んとした暑さ。
露出した地面がないということと、海側が高いビルで塞がれていることは致命傷なのではないかな。
都市計画やり直して欲しいと思うのはTONだけだろうか。