「どうあげ」と漢字変換すると「胴上げ」としか変換してくれない。
浅草で「どうあげ」と言ったら、「堂上げ」なのだ。
三社祭りで氏子が我先に担ぎたがる浅草神社の神輿、一之宮、二之宮、三之宮のご祭神、つまり今から1400年前に浅草浦から観音様を拾い上げ、自分の屋敷に祀られた功労者である土師中知(はじのなかとも)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひのくまのたけなり)の三者(三社)を神社からその氏寺である浅草寺に戻っていただく行事なのだ。
戻る。
そう。もともとの居場所なのだから。
明治以降の神仏分離がなければ神社とお寺は今でももっと密になっていたはずなのだが、明治政府の政策が文化の糸をこんがらがらせてしまったわけだ。
土師という姓もこの明治のドサクサの中、使用することをはばかれる事件が起きて、いまに至ってしまった。
151年。
今年は明治151年だという。この間、土師氏は「土師」を名乗らなかった。正確に言えば明治政府に気兼ねして名乗れなかったというべきなのか。
明日は「堂下げ」の行事がある。上がったものは下がる。行ったものは帰ってくる・・・のだ。で、神社境内に三神の碑が建つ。そこに合わせて現宮司が姓を「土師」に戻すことになった。
元はといえば、浅草寺を司ってきた専堂坊(土師中知の公孫)が神仏分離令に従って、神社の宮司にならざるを得なかった時点からのややこしい問題。土師死を名乗ることの意味を今一度考えていきたい。
と、思うTONなのだ。