浅草のそら
仏像の修復
仏像の修復は比較的多くやらせていただいてきたと思う。
粉々になった仏様もあれば、腕を失った阿弥陀様、持ち物を失くした千手観音様、大日様・・・・これでもかというほどあるけど惜しいことに写真を残さなかった。今回お預かりした仏様は後背の一部を欠損したので痛手は軽かった。
色を古色に仕上げてみればちょっとやそっとじゃわからなくなった。
浅草のそら
今日は浅草全体で震災時の帰宅困難者対策の避難訓練を行いました。
外人さんの観光客でごった返す浅草ですから本当に大震災が起きたら相当混乱するでしょう。こつこつ地道ではありますが、体と組織の回路は常にオンにしておくべきでしょうね。
何百万と来街されるお客様に対して、街側にはその責任があるのだから。。。
ラピスも稀少性が・・・
ラピスの玉も最近はこれっ!と思うものとなかなか出会えない。
久しぶりにいい玉が入りましたよと見せてもらってもボタ(白い斑点:カルサイト)が出ていたり、僕が好きな深い藍色ではなかったりと、すこぶる縁が薄くなってしまった。だからこの手のクラスの玉はほんとうにわかっていただける方にと、販売の現場にはふさわしくない考えが自然と湧いてしまうのだ。
仮スゲの状態で取っておいたのだが、いつもいらしていただいてるお客さまのご指定で、急遽制作させていただいた。作り出しちゃえば何分とかからないのだが玉をなでてみたり見つめたり・・・と、大丈夫かこの人?と思われても不思議ではないTONの行動ゆえに別れを惜しむ時間もいただいて、四半時かかってしまった。
おかげで、お話する機会を与えられた。熱心な仏教徒であることも分かり、かつ科学の先端のお仕事をしていることも。科学を突き詰めていくと仏教の世界になる。深遠な中に経典の世界が展開しているとおっしゃっていた。そんな言葉を聞くことができた。「不科学なのではなく科学が神や仏の世界に追いついていないだけですよ」と、TONが口にしたら白々しいだけになるようなことを話してくださった。
でも、ほんとそう思う。
浅草のそら
勾玉ストラップ
勾玉ストラップ水晶玉付きは久しぶりに作らせていただいた。
外人のお客様には和的でいいのだろう。
浅草のそら
浅草のそら
TON素挽きに凝る。。。
普段使う木玉もちょっと視点を変えるだけで、こんなにも表情を変えるの?と驚く。マイナス面ももちろんあるのだが、木本来の生気を感じれればいいなと思っていくつかの素材を完全素挽きで仕上げてみるとにした。
すると、表情はまるで別人になった。
お化粧しない素顔の君がいい・・・・
なんてずっと昔のCMではないが、素朴さと、なにより「木」なのだ。
木は生きている。生気があるものは生気を感じてもらわないと。