今日は防災の日。関東大震災から95年。
直下型が来るぞ来るぞと言われ続けて30年。だからと言ってオオカミ少年と思わないようにしないと・・・。
地球は生きているんだからいつ起こってもぜんぜんおかしくないのだ。
TONは毎年9月1日の朝のランニングのコースはいつもの北回りから、この日だけは必ず南回りに変える。墨田区横網町にある東京慰霊堂にお参りすることにしている。
今朝は残念ながら他の行事と重なってしまい、足を運ぶことができなかったけれど、明朝には行きたいと思っている。
東京慰霊堂には、今だに引き取り手のない5万8千柱の関東大震災の犠牲者(東京大空襲の殉難者は約10万柱)が祀られている。
ずいぶん以前のことだが、ここを管理していたS氏と縁があり、日の目を見ることのほとんどない、慰霊堂の奥にある納骨堂にお参りさせていただいたことがあった。
天井に届くかと思うほどのひな壇には、年を積み重ねた色合いの骨壷が肩を寄せ合うように積み上がっていた。一目見てそれが骨壷とはイコールで結ばれない整然とした佇まい。
よく見ていくと〇〇町〇丁目だれそれと記載されていているものもありながらなぜか引き取り手は現れない。そこにあるのは、一家全滅だったりして行き場がない遺骨なのだとS氏に教わった(空襲の遺骨も同様だった)。当時はそれほどまでに混乱を極めたのだろう。
時代を飛び越え胸に突き刺さるものがあった。自分の町がどんなところなのか、改めて気づかせてくれた。
来週の土曜日に、商店会有志にて雷門前で盆踊りを企画しているのだが、自分の思いの中にある盆踊りには慰霊の意味合いがとても色濃い。こんな体験が自分の中にあるからなのかも知れない。