お嫁入り。

龍神を横に見る。

お気に入りがひとつお嫁に行った。

何度もこんな場面は経験しているのだが、この寂しさはひとしおだ。

自分が気に入るまで手を入れてもらうし、ダメだと思うものを売りたくはないし、惚れた一点が彫り上がるまで、彫り手には申し訳ないが場合によっては一からやり直してもらう。だから作り手からは嫌われ者のTONである。だから会心の作ができると、手放したくなくなるのも正直なところ。

会心の作の場合は、風が吹く。一涼のそよ風が吹く感覚なのだ。わかってもらえるだろうか。

そんなだからまた作りたくなる。

そして寂しさを味わう。。。

国をこえる

近くで会合があるのでまた来ます。と残して立ち去られて3時間後に再び立ち寄ってくださった。

引率の通訳さんから話を聞くと中国山西省にある中国の四大寺院に入る五台山の貫主(と呼んで良いのか?)猊下だった。僕が中国に行ったのは、川崎大師を団長にした訪中団で弘法大師が灌頂をされた西安の清滝寺に行った30年前の記憶しかない。

まだまだ中国も貧しい時代で、そのイメージがついつい湧いてしまうのだが、僧衣や持ち物を見ればもう浦島太郎的情報だということがひと目でわかってしまう。

ぼくの恩師のk師は天台の僧だったが、韓国と日本の橋渡し役をずっとされていた関係で、同志にあたる韓国側の寺院にも足を運ぶことが何度かある。初めて合う曹渓宗のお坊さんたちとも初めてとは思えないほどに打ち解けた関係を築くことができた。

仏教徒であるという共通した根っこが、国というくくりをぽんと飛び越えられるのは、仏教の良さというべきなのかもしれない。