浅草のそら

毎月朔日は浅草寺境内の掃除から始まる。

浅草寺のお参りには昼間のゴミゴミした人種の坩堝のような忙しない風景からは想像だにできない信仰の町ならではの空気感がこの時だけは漂う。ということで今日も朝の冬時間の勤行に間に合うように家を出た。

何千枚撮ったかわからないこの風景なのに、今日は今日で新鮮だ。

うすぼらけの眠たそうな街に一人歩き出すというのもなんだか得した気分。

浅草寺境内では寺の掃除人がさっさと手際よく片付けているので、僕らが手を出すまでもなくは聞き読められているので、お地蔵さんの後ろだの、掃除のしにくい砂利の上だのプロが見落としやすいところに焦点を当てて枯葉(人工的なゴミはとっくに掃かれている)だのを拾う。

TONのテリトリー(勝手に決めている)は満州引揚者で犠牲になった多くの母子を慰霊している母子地蔵の霊地内を清めさせてもらった。 毎回来るたびに目頭が熱くなる母子像である。今日も篤志で手編みのあぶちゃんや帽子が新調されていた。

ぼくの周りには満州帰りがなぜか多い。もちろん引き揚げ当時は年端もいかない年齢だった方々ばかりなのだが、気性はどこか大陸の匂いのする豪胆さを持つ人が多かった。彼ら彼女らが親たちは、どれほどの辛酸をなめながらの路程を歩んだんだろうか。中国本土からの引き揚げは終戦後に日本軍の武装解除を解かなかったことと蒋介石の配慮によって比較的スムーズだったようだが、満州からの引き揚げは、関東軍の総崩れと中立条約を一方的に破り侵攻してきたソ連軍の蛮行によって悲惨の一言だった。近代史を知るに付けこの像が胸に染み入るようになった。ますます。