浅草のそら 今日は昭和の日。

今日は昭和天皇のお生まれになった旧天長節。天候にも恵まれて本来ならば最高の昭和の日となってであろう。

天上をやかましくホバリングするヘリコプターもそろそろ飽きてきたのか、けたたましい風切り音が聞こえないぶんわずかな車のエンジン音程度でかえって静けさをまし街が静まり返る。

テレビのコロナの話題を見るのも、自ら口にするのも抵抗を感じるようになってブログにも書くのを憚るようになってきたけど、改めてここ最近思う事がある。

しっかり記憶に残しておこう。

年寄りもこんな経験はかつてなかった。祭りが延期になったり神事が中止になったり、様々な初めての事だらけだと・・・

でも東日本大震災の時も、原子力発電所のメルトダウンだって、経済的な世界的なダウンもなにもかも初めての事だらけだったじゃんか。

我々は今そこに生きているんだ。ということ。温故知新は大事なことだと思う。

経験を活かすということをなおざりにしようというのではない。

只、今を生きているんだということを言っているのだ。

だから、「今日」を大切に、記憶にしっかり刻んでおこうと思う。

パンデミックが収まって、再出発のときためにも。。。

猫如来。。。

元気をいただいた。

TONが猫好きと知って元気を失いかけているTONのためにご夫婦で持って来てくださった。

ただ、可愛いだけではなさそう。

TONの好きな見返り弥陀ならぬ見返りニャンダも含まれている。ウヒョー!

浅草のそら

3.11の震災の時もそうだった。しっかり記憶しておこう。被災地に足を伸ばし支援物資を運んだり義援金を送ったり。被災地も大変だけど、東京も違う意味で大変だった。

そう思っていた。

けれど、今改めて考えるとどこか人ごとだったのかもしれない。

只今、見えざる戦争の真っ最中。火の粉はどっとかぶりっぱなし。売上は10分の一をウロウロしているような毎日。どうしようと店の存続に戦慄を覚えるほどの日々。

全くもって当事者として受け入れざるを得ない。

けれど、けれど・・・

医療の最前線から見れば、やはりあの時と同じ他人事なのかもしれない。

心を合わせて乗り越えるとき。自他を分ける時ではないことを心底認識する時なのだと改めて心に刻む。