念珠堂を開店した40年前、まだ什器もまともに間に合わないまま、はじめの一歩の企画として行ったのが、仏壇とは縁もゆかりも?ない作家の個展だった。
「難波淳朗」名を聞いてほ~!と驚かれる人はかなり写仏に心した方だろうか。
今では一般化した写仏という名詞となった仏様を写すという修行をカルチャーとして根付かせられた功労者の一人だった。
「だった」というのは、すでに鬼籍に入られてしまっているからなのだが、今のショールームをオープンして数年で亡くなられてしまった。
カルチャー教室をいくつも主催されており、片肺の体を押して東奔西走されていた。
その人間性に魅了されるファンや生徒さんたちも多かった。
氏のアトリエを訪ねたとき「僕の絵を銀行や病院や役所に飾れるようになったら社会や人の心の風向きはだいぶ様変わりしているだろう」とぼそっと語られた言葉は今も耳から離れない。
写仏教室を店のカルチャー室を使って行う準備をしている最中に一風が過ぎるように旅たってしまった。
あと4年もすれば33回忌・・・かぁ。
今日、生徒さんのお一人の方が先生の遺された作品だからとお持ちくださった。TONが氏の大ファンなんですよと以前お話したことを覚えておいてくださっていた。
ご高齢にもかかわらず川向こうから訪ねてくださった。ありがたい。
氏の筆使いを久しぶりに拝見することができた。
先生、クリスチャンだったことを憚らず僕の観音様はマリア様なんだよと耳打ちしてくれましたっけね。