浅草のそら 送り火

今日の送り火をもってお盆も幕を閉じる。

近頃気づくことがある。ひぐらしの声を聞かないのだ。

お盆が過ぎる頃、特に夕刻近くになると、それまでミーンミーンやジージージージーとうるさいくらいのアブラゼミらの直線的な声の合間にピアニシモのようにカナカナカナ・・・と夏休みも終わりだよーーー、シュクダイオワッタノカーーーと響いてきたものだった。

どうなったんだろぅ。社会人になってしまった人間にはもう聞こえなくなってしまうのかしら。。。

夏の終わりを告げてくれる合図はもういらないというのだろうか。

そいえば、ひところ騒がれたクマゼミもどうなったんだろう。TONが最近目にし耳にするのは明らかにアブラゼミばかりなのだが。

今一度やさしい日本の夏と夕立のあとのひぐらしの蝉の声に包まれたいと思うのは歳のせいだとは言いたくないのだが。。。

浅草のそら

TONが30歳。昭和60年の今日、群馬県御巣鷹山山中に5百数十名の魂が昇華された。お盆の帰省客もあって機内は超満員だった。戦慄の走った航空機事故だった。まもなく40年が経とうとしている。

浅草のそら

昨日のを忘れていたよ。

閉会式だからね。

浅草のそら

76回目の原爆の日。

今年はオリンピックの空気に包まれて原爆の日関連のテレビ放送もそこそこ。

たしか、先回の東京オリンピックの最終聖火ランナーは原爆二世だった記憶がある。

戦後の復興からTONが生まれた昭和三十年には戦後は終わったと言われ、高度成長期に入ろうとしていた頃。しかし戦争の爪あとはそこかしこに頑として残っていたし、戦争で傷ついた家族や個人はなんとか模索しながらも元の生活を取り戻そうとしていた時代だ。そこに象徴的な平和の祭典、東京オリンピック。戦争は終わったと改めて人の心に楔を打ったのではなかろうか。

2020東京オリンピック。戦後はとうの昔に置いてきて今。この時。震災だ津波だ震災だコロナだ天災だ人災だ次々に降りかかる難問に繰り返される今、日本人は災害の多いこの日本列島で慎ましくも互の力を信じ団結し力強く生き延び発展させてきた。日本人のアイデンティティを、古き日本人の心を今一度思い起こし復興させていかなければいけないのだと強く感じる。

復興五輪とはよく言ったものだ。

このコロナ下でオリンピックを挙行させた勇気は賞賛に値するとTONは信じる。