浅草のそら

コロナ後再出発した写経の会もなんとか順調。

ネットは便利だねぇ

僕の小学校時代を過ごした横浜。

ここに移る以前は本牧にいた。

父親が死んで住むところに困り六角橋に移り住んだ。

伯父の運転するオート三輪に家族が乗り込み、舗装の効いた(といっても中央部分だけ)電車道を一歩外れると未舗装のガタガタ道。横浜と言ってもそんなものだった。

雨降りあとだったのかなぁ。ぬかるんでいた記憶があるのだが。。。

母は市電を使って働きに出ていた。母の見送りに電停までよく行った。

母も息子一人を置いて行くのが後ろ髪を引かれたのだろう。電停前の甘味処で大判焼きを買うか、珈琲ガムを買うかして僕の持たせた。

弘明寺行きの電車がチンチンと出発して東白楽方面に姿が見えなくなるまで、くちゃくちゃガムを噛みながら見送っていた。

だから僕の記憶は電停の行き先看板の丸い陰とコーヒーガムの甘さと匂いがごっちゃになって郷愁という振りかけがかかった状態で心の中の引き出しに収まっている。

あの停留場の写真はないかなぁ。。。と探し回っていたが、灯台下暗し。
ネットの世界にはなんとゴロゴロと転がっているものだ。

ほんとはね停留場はやたら長くてその先に司会を防ぐように行き先看板のまぁるいシルエットが焼き付いているのだが、こうして見ると思い違いだったように見受けられる。

今は新横浜に抜ける市道として交通の要所となって車の顔ばかり強調された味も素っ気もない通りと化しているようである。