浅草のそら

仕事がらと言うこともそうだし、町の冠婚葬祭の婚を除いた冠葬祭はお手伝いが回ってきて特に葬祭は切っても切れない間柄である。
昔は極力逃げて回っていたし、涙にくれる場所は仮病を使ってでもスル―が原則だった。が、年齢もそれなりになってくると責任が付いて回り通夜も告別式も参加の憂き目にあう。今は決して避けるほどのことはないのだがそれでも・・・・井上揚水の歌詞のように避けたいのが本音だ。
だから今は極力チャンネルを微妙にずらし感情をこっちに置いて客観的に観察することにに徹している。
今日は老齢のご夫婦で先にご婦人が先に旅たたれた。
式の最中はずーっとご主人を追っていた。ポーカーフェースで貫きとおされていらっしゃって最後まで公衆の面前では終了するのかなと思って見ていた。
式の最後出棺の場になり喪主の言葉を聞いていた。
話の前後は忘れたが「彼女は頑張ってきました」相手を慰労する言葉が出た途端相形が崩れた。

感情の出どころは相手をかばうときその隙をパーンと突いて出る。もんだなぁ。。。

そう。たぶん故人が頑張る姿が走馬灯のように巡り巡ったのだろう。
死という購いきれない出来事に涙を誘うのではなく、他を思いやった出来事に感情のコックが開いたのだろう。。。

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