浅草のそら

むか~し技術屋だったころの話し。
まだ新米技師のくせに、計画から施工まで一人でできる仕事をやらせろーっと談判してまかせられた仕事が河川計画だった。

その川の流域面積を出して、流出係数を決め(アスファルトいだらけの都市部と田園地帯では降った雨が川に流れ込むスピードが違うのでそれを考慮する)そんな係数を考慮して川の設計断面を決めていくのだけど、そのもとになるのは計画降水量。
一時間に何mmの雨が降るかを過去のデータ―から読み解いて決定する。TONは絶対に洪水で被害を出したくないと時間80mmで設定した。それでも少ないと思ったのだが。。。
設計を凛儀してもらうと見事先輩技術者にNOを食らった。係長も課長もNOだった。

なぜ?と問いただすと「経済設計っていうのがあるんだぞ}だった。カチンときた。
人の命にかかわることに何が経済設計だ。と納得できなかった。延々とディスカッションという名の口論となった。見かねて技術専門の上司まで輪に加わって、TONは係長預りとなってしまった。
「何mmの雨が降りました」と大雨の情報をテレビで耳にすると未だに当時の悔しさが思い出されてしまう。もう50年近く前の話なのにね。
上さんにいたってはまたその話?と聞いてくれなくなった。
昨今は100mmを超える雨が当たり前のように降るようになってしまったからね。TONの先見の明?まさかね。。。

ひろいものから

たまたま目についた言葉。
人生は二度ない。
どうせ生きるのなら一秒でも早くこの事に気づきたい。。。

スティーブ・ジョブズが残した最後の言葉

他の人の目には、私の人生は
成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、仕事を除くと
喜びの少ない人生だった。
人生の終わりには、富など
私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。
病気でベッドに寝ていると
人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと
認められることや富は
迫る死を目の前にして
色褪せていき
何も意味をなさなくなっている。
この暗闇の中で生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ
機械的な音が耳に聞こえてくる。
神の息を感じる。
死がだんだんと近づいている。
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの
富を築き上げた後は
富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や
または若い頃からの夢かもしれない。
終わりを知らない富の追求は
人を歪ませてしまう。
私のようにね。
神は、誰もの心の中に
富によってもたらされた幻想ではなく
愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は
死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。
私が持っていける物は
愛情に溢れた思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり
あなたとずっと一緒にいてくれるもの
あなたに力を与えてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある
全てはあなたの手の中にあるのだから。
世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド(賭け)」が
何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。
あなたのために、ドライバーを
誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうこともできる。
だけれど、あなたの代わりに
病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。
物質的な物はなくなってもまた見つけられる。
しかし一つだけ無くなってしまっては
再度見つけられない物がある。
人生だよ。命だよ。
手術室に入る時、その病人は
まだ読み終えていない本が1冊あったことに気付くんだ。
「健康な生活を送る本」
あなたの人生が
どのようなステージにあったとしても
誰もが、いつか人生の幕を閉じる日がやってくる。
家族を大切にしてください。
パートナーを大切に
友人を大切にしてください。
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
人を大切にしてください。

浅草のそら

早朝の隅田川。朝ブラに出ようと駒形橋を渡ろうとするとスコール(通り雨という風情のある言葉があるのに・・・)。雨宿りをする暇もなく数分で止むと西の空に虹の約束。
何を約束してくれたのかは定かではないが。。。神様の約束なのだそうだ。

浅草のそら

昨夜は孫っ子の二歳の誕生日で囲んで遊んできました。
二年前はホギャホギャと生まれ何もわからなかった人がたった二年で自我が芽生え、好き嫌いを言うようになるのだから、驚異そのものだと思った。

母親のお腹の中で受精卵が十月十日で百万分の3グラムから3000グラム以上に育ち生まれる準備をしていく。命の驚異だ。

終始笑って過ごせたけど、子供、特に幼児にとっては終始争いの絶えない家庭と笑いの絶えない家庭とどちらがその子の人格形成にどう影響するだろう。ふと頭をよぎった。

さ、今日もがんばろうーかな。