浅草のそら

昨日、花まつりの日に対しての一言が何故か消えちゃいました。

もうひと押ししていなかったのかなぁ。。。

だから画像だけ。

同時に5年前の昨日発令された「非常事態宣言」時の浅草の様子でした。

本当なら(仏教徒なら?か)今日は喜ばしい一日なのである。

TONは今日つまり花まつりの今日「非常事態宣言」が発出されたのを金輪際忘れられないのである。よりによってお釈迦様がお生まれになられた今日。灌仏会、花まつりの今日。武漢コロナが猛威を振るい東京オリンピックを間近に控えた今日、不要不急のである気を禁止された日なのである。

5年経ったこの日はインバウンドに、観光の町としての賑わいは戻ったが、コロナ前と後ではその様相は一変した。

TON自らの事を振り返れば、不動、平凡、あたりまえというものを信じなくなった。信じられなくなった。さらに10年前の3.11で心は大波にただようはめに陥ったが、輪をかけて今度は世界レベルの大激震に目の前の当たり前の光景なんてない事に気づかされた。

いや、青年時代から昨日と今日が同じと思っていたわけではないのだが、仏教に関わってから心経の奥意を探せば探すほど形あるものなんてこの世には何一つない。不動なんて何一つないことは頭でわかっているのだけど、それにしがみついている自分を見つける。

この十数年は頭の理解から魂に刻まれる理解をさせられた。経典をひも解くよりよほど身に沁みさせられてきたのだ。動なるものにしがみつくな。未練を持つな。
そんなことを教えられてきたような気がするのだ。高い授業料なのはわかっている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です