今は故人となったが、親戚に救世教に入信したおばがいる。
生前、田舎に泊まるたび、見るでもなく、読むでもなく
置いてあった機関誌というのか、啓蒙誌を勧められるまま
ボーと目を通していた。
文字通りボーと字面を眺めていた。
泊めさせてもらっている行きがかり上、いつもそうしていた。
20分も経たないで「読んだよー」というと、
満面の笑みを浮かべてくれた。
その笑顔にほだされて、2冊3冊と斜め読みしてあげると
「この子は大したもんじゃ」「たいしたもんじゃ」
「賢いぞー」「すごい子になるぞ」
などと、生涯、聞いたこともないほめ言葉を口にしながら
曲がった腰をウンコラショ伸ばし頭をゴシゴシ
さすってくれた。
残念ながらおばの期待通りにはならなかったが、
こういう仕事を始めることになろうとは、
当時、思いもよらないことだった。
言問橋から程近いところ、隅田川右岸に
岡田茂吉師の生誕地がある。
いつも小ぎれいに刈り込まれた植栽に囲まれてひっそり碑がたっている。
浅草に引っ越して間もないときに発見した。
おばとの縁だろうか…と感慨深かったことを
通るたびに思い出す。
日本は思い切ったことをやらないということは、一番は国民的誇りがないのです。