以前から親しくしていただいていたお得意様が
得度すると言う。
「おめでとうございます」と一言。
それは、社交辞令ではなく、本心からの言葉。
出来るときにはできるように進めるべき。
かくいう僕も過去、真言宗において、曹洞宗において
そして、天台宗において
その機会を得たことがあった。
でも結果、式までは至らなかったのだから、
こればかりは縁としか言いようがない。
決まって、直前に動けなくなる。
天台の時は、環境も向かう心も全てが揃っていたというのに。
だから、そのチャンスを得られる人には心から拍手を送る。
在家得度されるのだと言う。
「いつからそういうお気持ちになったのですか」と聞くと
まったく仏とは縁もゆかりもなさそうな仕事を
こなしていた若いうちから、
どういうわけか心惹かれたという。
今でも充分お若いと思うけれど…
それはさておきも
「仏に見出されていましたね」といえば、
「そうだね」「不思議でならない」と答える。
得度まで、何の支障もなくとんとん拍子で話が進んだという。
やはり縁だなとつくづく思った。