小台からの帰り道、
いつも車で通り過ぎてしまう新吉原を経由してみることにした。
戦後の町名変更で、どこがどこだかサッパリわからなくなってしまったが、
千束の名に変更され、赤線岡場所としての歴史は閉じたように思えるが
その独特な雰囲気はそう易々と消えるものではない。
土手通り吉原大門の信号表示前にある「見返り柳」を曲がれば、
くの字に不自然に曲がる道を過ぎると、大門跡に出る。
そこから先が、広大な遊郭跡である。
見ると大門があった場所だろうか大門と名の入った鉄柱が建っていた。
手前の交番に立つおまわりさんに尋ねる。
「ここってだいもんの跡ですか?」
念を押してくれた。
「おおもんって呼ぶんだよ」
周りをぐるりとどぶが囲う形でこの街はあった。
もちろん古くは逃げ出す遊女を牽制するためだろうことは察する。
今は全て埋め立てられ、道路と化していて、
どこにもある平凡な町並み・・・でもないか。
(いわゆる「おはぐろどぶ」と言われたお堀跡である。今は埋め立てられて気づきもしない)
近くには吉原神社。
どれほどの遊女がお参りしたことだろうなどと勝手に想像してみたりするが
今は浅草七福神で巡る以外人の訪れも少なそうな感は否めない。
次は浄閑寺にお参りしないといけないな。