生死一如

昨日の日記の中でご紹介した知人からの年賀状にはもう一つ書き添えられている言葉がありました。

それが「生死一如」という言葉でした。

仏教では、「生」と「死」を別のものとして分けてとらえることはしません。

二つをひっくるめて「生死」といい、「生」と「死」を超えることを説いています。

つまり、生があるから死がある。
生の中に死があり、死の中に生があるのです。

人間は、死にたくなくても、いつかは死を迎えなければなりません。

だからこそ、命ある限り精一杯生き、そして死を迎えるのです。

だから、きっとこの言葉にある精一杯生きていきますと心底の決意の言葉なのだろうし、TONさんもそうしてね。という事なのだろうと思いました。

ありがたくお気持ちをいただいて、自分もできる限りの生き方をしようと思った次第です。

今日そのことを思い出したら関連して思い出したのが骸骨彫りの念珠でした。
そうだな。なぜ骸骨なんてグロテスクな彫り物の念珠があるのと思う方は多いのですが、いつか人間は誰しもがシャレコウベを晒す存在なんだと忘れてはいけない。

まさしく骸骨彫り=生死一如なのだということをビジュアルで現していると考えるわけです。

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