ここのところ膝も腰も、少し走るだけで痛みが来るようになってしまったので、ウォーキングでずっとごまかしている。が、やはりスキあらば走り出したいTONなのである。
父親の他界した歳を越えるのに平々凡々とした生活をしていては越えられそうにないと我ながらの思い込みから始まった朝ランも気が付けば15年になろうとしている。
小学校5年の時、初めてのマラソンの授業があるのに朝飯も取らずに出かけようとする愚息に牛乳ぐらい飲んで行きなさーい。と声をかける母親の言葉を忠実にも履行して、ゴクゴク慌てて飲んでいった瓶牛乳。ゴールを目の前に、あと数メートル・・・というところで、公衆の面前で、グランドにぶちまけたあの忌まわしい記憶を払拭するうえでも、是非とも消し去らねば。トラウマ消去の意味も心の奥底にあったTONの朝ラン。
今日は一つのお別れをした。
相棒の一つとのお別れ。何キロ走ったろう。一ヶ月180kmのペースだった時だから2000kmはゆうに超えている。1年で卒業じゃないからね。それを4年以上で履きつぶしてる。靴底も剥がれてボンドで留めてなんてだから、もうぅぅぅ悲鳴を上げていたのだろうと思う。の。さ。
考えればとっくにお払い箱なのかもしれない。けど相棒だから。。。