今日の浅草のそら
聖火に思う
やっぱり!
こうなると思った。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080419k0000m040103000c.html
ここにきて聖火を巡って問題が噴出している。
国策の如く、権威まで振りかざさなければ、その火が守れないとは・・・
嘆かわしいとしか言葉が見つからない。
聖なるオリンピアの火が、まるで疫病神扱いされているのは、
いかがなものだろうか。
見るに耐えないものを感じる。
地に落とした原因は難だろうかと考える。
チベットというキーワードにどれだけの人が、
今に至るまで関心を持ってきただろうか。
今に至るまで、人権侵害に対して世界が無関心だったことが、
チベット進攻の暴挙に等しく原因なのだと思う。
世界が見て見ぬ振りをしてきたつけが、
オリンピックという大祭の火であぶり出されてきたと思えてならない。
デザイナーとまではいかないけれど・・・
おいで
今日の浅草のそら
生老病死
生老病死。
釈迦は「生」を「苦」と考えた。
苦の原因は何か。
生きる苦しみ
老いる苦しみ
病の苦しみ
死の苦しみ
求不得苦・・・
釈迦の生きた2500年前の時代・・・
日本は縄文時代。
時を経過した今現在にあっても・・・
苦の原因は、
どこが変化したろうか・・・
何ら変わらない。
また透かしてみたくなる。
またできました。
透かしてみたい。

