白いカーネーション

毎年5月の第二日曜日が母の日なんて、誰でも?知るところだろう。

小学校の頃、母の日が近づくとお母さんに何をあげる?と、とかく話題になった。

学校側でもカーネーションを用意してくれたり、
プレゼントを工作の時間に手作りしたり、
母の似顔絵を描いたりと、学校上げて忙しくなった。

同じクラスに母親のいない友人がいた。
いつも我が身のことのように気になった。

何故なら僕には父がいなかった。
当時は父の日はあまり熱心ではなかったようで、
父のいない僕にはそれだけでも、ホッとするのだった。

もしかしたら母の日と同じように父親の似顔絵を描いたり
プレゼントを用意したりと慌しかったのかもしれないのだが、

人間の記憶とは、都合の悪いことは海馬の奥底にしまいこんでしまうようで
記憶にまったく残っていない。

もしこの母の日のように「お父さんに何か送りましょ」と
学校あげてお祭り騒ぎになったらいる場所がなくなってしまう。

どうしよう・・・さぞかし悲しい思いになったことだろう。

だから母の日が近づくにつれ、
友人の心のひだが痛いくらい伝わってくるのだった。

その日の前日、だと思うが・・・
担任の先生は、「○○さんは、おかあさんはいなかったね。君がおうちではお母さん代わりなんだよね」

ぎょっとした。
わかっていたんだ(担任だものあたりまえなことだが)・・・

「だからそういう人は白いカーネーションをあげるんだよ」

「おうちに帰ったら、仏壇に「産んでくれてありがとう」と言って、カーネーションをあげて下さい」と一輪の白いカーネーションを手渡したのだった。

胸がジーンとなった。

下町観光便

いよいよ走り出しました。

何処かのスクールバスか、米軍の車かなんて思っていたら・・・
どうも様子が違う。

上野に自転車で出かける間にも二度ほど顔を見る。
定期便のようだが・・・

とすると・・・
あ!
そう、これでした。

東京駅から秋葉原、上野、浅草を経由して両国までの下町観光バス。

以前、上野ー浅草間に二階建てバスが運行されましたが
惜しまれつつ何年か前に廃止されました。

今度は、東京駅からとなると、観光としても、
行きづらい浅草方面にも、簡易な足としてちょうどよいのではないかな。

気づくと雷門通りにバス停が設けられていました。


今は1時間に2本と田舎のバスの如く少ないけれど、

顔もなかなか面白い。

そのうちに増便されるといいですね。

側方もオリジナリティー溢れています。

後姿はさらにキュートです。

この写真を撮るために仕事中だというのに・・・十数分待ち続けたのだから、
道行く人は怪しいと思ったかな・・・

鉄の血が少々沸きました。

式典はこんな様子だったようだ。友人が教えてくれた。
http://www.hattori.in/shitamachi.html

気付きを与える

木鉦という仏具がある。
日蓮宗で使用する木魚のような仏具。

叩くとカンカンと甲高い音を立てる。
力強い日蓮宗の勤行にさらに拍車をかけるハイな音が売りの仏具である。

数日前にお買い上げくださったお得意さんのkさんが、音がおかしいよ。
と、お持ちになられた。

Kさんは、「木目の向きがおかしくない?」という。

よくよく見ると、音のよい木鉦は打つ面に対し木目が平行方向になっている。
なのに音の悪いものは、木目が直角方向になっているのだ。

つまり、木目を打っているようなものである。
木場を叩いても音は出るわけがない。

明らかに木取りの製作ミスだ。

「ごめんなさい。お取替えします。」
担当者と僕がKさんに謝ると、思いの外の答えが返ってきた。

Kさん曰く。
「ぼく自身、当たり前なことを当たり前なこととして押し通しているかもしれない。
きっとそれを教えてくださる反省材料なんでしょう」と、自戒を促すため出あわせてもらったと喜んでおられる。取り替えるなんてとんでもないということなのだ。
新たなものは持っていってもらいはしたが、自戒の木鉦はKさんの宝物となった。

さらに、
「これは叩く木鉦ではなく、見る木鉦なのです」
ともおっしゃった。

気付きを与える仏具・・・

腑に落ちた。