冬はゴジラに変身する。上さん。
忙しくなると猫になりたくなるBoo。
昔は(大)虎になったこともあったし、
(デ)ブタにもなった。
犬のように忠義に懸命だったときも。
蛇のような狡猾さを磨いたときもあった。
キリンのように高望みしたこともあるし。
鼠のように懸命に走り回ってもいた。
バクのように未だずーと夢を食べ続けている。
ただ、ゴキブリ(亭主)だけにはなりたくないものだ。
冬はゴジラに変身する。上さん。
忙しくなると猫になりたくなるBoo。
昔は(大)虎になったこともあったし、
(デ)ブタにもなった。
犬のように忠義に懸命だったときも。
蛇のような狡猾さを磨いたときもあった。
キリンのように高望みしたこともあるし。
鼠のように懸命に走り回ってもいた。
バクのように未だずーと夢を食べ続けている。
ただ、ゴキブリ(亭主)だけにはなりたくないものだ。
いつも、はらはらどきどきしている。
オーダーの念珠も仏像も。お直しも。
製作物って、リスクが大きい。
できて来るまで、実物はないのだから。
計画図面はあっても虚像でしかないわけで、
頭の中でイメージは膨らんでいく。
お客様も創る側もお互いに。
できあがって現実を目の前にしたときのリアクションが、
その評価となる。
職人として、企画者としての真価が問われる。
いつも開けてみるまでわからない。
お客様はどんな評価を下されるだろう…
どんな表情になるだろう…
出来たものを見ていただいて、
「こちらですね、はいどうぞ」と売るだけの商売は、
どんなに楽だろう…
と、となりの芝生がいつも青々して見えてしまう。
でもね、人間一番恐いのは「慣れ」だと思う。
販売している姿を見ていても、
なれない新人のうちは、お客様に使われる。
お客様とどう向き合ったらよいかわからないから、
商品知識も乏しい中で、出来ることは体で奉仕することとなる。
何をどうしたらよいかわからずお客様に顎で使われる。
がぜん汗を流す。
でもそれがいい。
慣れてくると、自分が動かずに、
お客様を自分の側に引き込もうと作為的に動こうとしだす。
それでは絶対!ダメなんだ。
お金を頂くことは、至誠が必要だと思う。
それがなければ、自動販売機でよいのだから。
(最近の自販機にはおまけや当たりくじがつくこともある)
物+αなのだ。
だから、いつもどきどきはらはらしていられることは…
慣れさせない、腐らせないための天の計らいなのかもしれない。
椿を目にする季節。
椿と言うと、雪の中に可憐な赤を演出するイメージ。
寒風の中、大島を旅したときの記憶と、
そして、店を共にに支えてくれた椿好きの一人を思い出す。
どうしているだろうか・・・
時の流れの速さに驚嘆する。
雲がいっぱい。
気温はあまり上らずというところでしょうか。
羽子板市は今日まで。
羽子板を持った人が本当に少ない。
納めの観音には来ても、門前の市は賑わうだけ…
ちょっと寂しいなあ。
羽子板に対しての意識の部分…
魔を祓う、厄を祓うという部分が
すっぽり抜け落ちちゃっていんじゃないのかな。
形骸は残っているけれど、なぜ持つの?何故必要なの?
の部分が欠如してしまっている。
いまどきの建物で羽子板を飾るスペースが…
なんていうことではないような。
でもこれは、仏壇業界にもおんなじことが言えそうでもある。
なんで仏壇を飾らないといけないの?
仏壇を飾るスペースが…
なあんて、まじめに考える人はまだしも、
はじめから、話題にも乗らないなんてこともざらだろう。
あんまりにも身近にありすぎたゆえに
その存在の大きさに気づかないものって多いように思う。
日本の文化のたがが外れたら、元には戻らない。
でもそういう前兆って、
じわじわ身近なとこから迫っている気がする。
ようやく正月のための販売員の手配が終りほっとした。
いつもながら、暮れから正月にかけては、
浅草寺への〆の詣でと初詣の人の波が押し寄せる。
向かえる側もそれなりの用意をしないと。
と思うのだけれど、毎度の事ながら気付くと年を越えている。
何もしないままスルーしてしまっても
別段どういうこともないのだが 、
除夜の鐘を聞くその瞬間まで、
「やり残し」はないかと何故もこう心が急くのだろう。
年が替わるといっても、
グレゴリオ暦上のことであってイスラム暦や和暦では、
替わるわけではない。
開き直って考え直してみれば、
昨日から今日に替わるだけのことである。
・・・なのだけれど、
忙しなく心の中では「今年中に」と「何か」を探すし、
「来年には持ち越せない」などと、膨大な仕事量を決めている。
と思いつつ、後半に入った暦を見ながら、ため息をつく。
露水晶にラピス+ムーンストーンの二天
親玉に生まれ年?の梵字。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を食後にごろ寝しながら見ていて
そのまま幽界に迷い込んでしまった。
テレビでは小学校にあがる前の子供時代、
一時預けられた母の田舎が放映されていた。
宮城県丸森町。
うちの田舎はそこからさらに山に入り、
福島側から超える官軍と戦った山城のあった金山という
小さい部落なのだ。
とにかく方言が強いところだ。
寒い地方では、口を大きく開けずに言葉を発する。
単語は短くなる。
悠長にしゃべっていたら口の中が凍ってしまうからだろうか。
青森の自分を「わ」相手を「いが」という言葉がいい例だろうが
そこまでは短くないにしても、口は大きくは開けないでしゃべる。
最近の若い人の口からは、ほとんど方言が消えた。
テレビの影響と言うのか、
情報化社会は全国民を平準化教育してくれるようだが、
それも良し悪しだと思う。
けれど80歳を超える、じいちゃんばあちゃんの言葉には、
懐かしいイントネーションと誤謬が溢れんばかりに残っていた。
その土地独特の気候風土と文化の中で培われてきた言葉には、ギューっと、そのエキスが詰まりに詰まっている。
6歳のときに身につけた方言はとっくに忘れているのに、
耳は覚えていた。
その心地よさに、「眠ってきない~、休んできない~」と
聞こえていつのまにか撃沈してしまったと思われる。
(上さんは、九州人ゆえ東北弁は今でもわからないと嘆く)
毎日店に訪れる外人客には、まず耳から覚えるとしようか。
それぞれ、作者の思い入れのあるセット組。
主玉も、二天も、親玉も。
梵字彫りたぶん干支にちなんだ梵字と思われる。
とても珍しいのは、
お名前を梵字の音に当てはめて彫り、
その玉を組み込んでいるところにある。