露水晶にラピス+ムーンストーンの二天
親玉に生まれ年?の梵字。

露水晶にラピス+ムーンストーンの二天
親玉に生まれ年?の梵字。

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を食後にごろ寝しながら見ていて
そのまま幽界に迷い込んでしまった。
テレビでは小学校にあがる前の子供時代、
一時預けられた母の田舎が放映されていた。
宮城県丸森町。
うちの田舎はそこからさらに山に入り、
福島側から超える官軍と戦った山城のあった金山という
小さい部落なのだ。
とにかく方言が強いところだ。
寒い地方では、口を大きく開けずに言葉を発する。
単語は短くなる。
悠長にしゃべっていたら口の中が凍ってしまうからだろうか。
青森の自分を「わ」相手を「いが」という言葉がいい例だろうが
そこまでは短くないにしても、口は大きくは開けないでしゃべる。
最近の若い人の口からは、ほとんど方言が消えた。
テレビの影響と言うのか、
情報化社会は全国民を平準化教育してくれるようだが、
それも良し悪しだと思う。
けれど80歳を超える、じいちゃんばあちゃんの言葉には、
懐かしいイントネーションと誤謬が溢れんばかりに残っていた。
その土地独特の気候風土と文化の中で培われてきた言葉には、ギューっと、そのエキスが詰まりに詰まっている。
6歳のときに身につけた方言はとっくに忘れているのに、
耳は覚えていた。
その心地よさに、「眠ってきない~、休んできない~」と
聞こえていつのまにか撃沈してしまったと思われる。
(上さんは、九州人ゆえ東北弁は今でもわからないと嘆く)
毎日店に訪れる外人客には、まず耳から覚えるとしようか。

それぞれ、作者の思い入れのあるセット組。
主玉も、二天も、親玉も。
梵字彫りたぶん干支にちなんだ梵字と思われる。
とても珍しいのは、
お名前を梵字の音に当てはめて彫り、
その玉を組み込んでいるところにある。

羽子板市一日目。
いい天気。


ある量販店のトイレにて。
用をたしながら、ふと前を向くと。

いつも見る「汚くしないで下さい」的な注意書きとは、
全く逆説的に書かれている。
「○○するな!」
「○○しよう!」と言われると、
あ!そうなっていないんだ。だから叫ばざるを得ないんだ。
標語は、出来ないから標語なのだ。
と心のどこかで思っているし、
注意書きは、できないから注意書きなのだ。
「きれいに使って下さい」は、
日頃きれいに使ってくれないんだな。
「渡るな危険」は、
危険なのに渡る人が多いんだな。
てなものである。
「いつも美しく使ってくれてありがとう」
とこられたら・・・
「どういたしまして(そんなにきれいに使ってないけど…ごめんなさい)」
と神妙になる。
なんとも人の心理は言葉一つで、
天と地の開きとなると思った。
すっぴん!

毎土曜日恒例の買い出しの帰り道、
本堂を通り雷門に抜けようとすると何やら境内が騒がしい。
宝蔵門の前でトンテンカン、トンテンカンと作業している群れがいる。
映画のセットでもこしらえているんか???
と、しばらく見ていると、そうでもなさそう。
小ぶりの茶店のような、いつも見受ける出店ほど華奢でもなく、
若干重層な造り。奥山の江戸風出店かと思った。

黒いひな壇には何が乗るんだろう…
とそこまで想像していると、
羽子板
あ!そうか。もう羽子板市じゃないの。
何度も口にしながら現実目前に迫った「羽子板市」は
すっかり頭から離れていた。
師走はいつもこんな感じになる。
気付くと、もう2月。
なんていうことも毎年の事である。
すっかり日本晴れ。

何だか気負いが出ますね。

浅草寺への参道というと、雷門から仲見世を通り本堂に至る
南からの通りが現在は、唯一の通りとなってしまった。
路面電車が走っていた頃は、江戸通りつまり墨田川側から、二天門を通り
本堂に至る通りも参道として機能していた。
その名残を、止める。

昭和33年再建とあるから、当時までは、こちらからの通りも
ある程度重要視されていたことを想像できる。
よく監察すると、てっぺんにはすずらん灯を乗せて
時代を感じさせはするが、手の込んだつくりをしている。

いつか取り壊されるかもと思っていたが
再建される張り紙がしてあった。
新東京タワー建設とあわせて
いよいよウォーターフロントの見直しだろうか。
二天門も急ピッチで化粧直しを行っている。
もともと浅草は、水辺から発達した土地柄。
川とのかかわりを抜きに考えることは出来ない。
ようやく見直しの時期を迎えたようだ。
