谷中五重塔

ネット仲間が入谷のあさがお市を見ながら店で合流し、
木馬館に出かけて行った。

「入谷」と聞いて、数日前の新聞の記事を思い出した。

台東区長の質疑応答が直近の区議会でなされた。

質疑応答の中に、幸田露伴の小説「五重塔」の舞台にもなった、
谷中五重塔を再建したいと、
都に働きかける旨を約束したのだ。

できればいままでにない快挙だ。
消失したのが1957年だから、燃えてなくなって50年ということだ。

よく今まで再建されなかったものだと、
違った意味で感心する。

できるといいなあ。

明治維新の上の野山の戦争にも、
関東大震災にも、
東京大空襲からも難を逃れた国宝の塔が、

男女の恋の道連れで心中の舞台になろうとは、
古人は夢にだに思わなかっただろう。

また、その谷中五重の塔のことを調べているうちに、
脱線し、こんな面白い記事を見つけ、
読みふけってしまった。

http://www.habutae.jp/event/event_1.html 谷中善性寺そばの羽二重団子の翁が書き綴った根岸の里の話だ。

残念ながら、じっくりと谷中を散策した試しはないのだけれど、
谷根千(谷中・根岸・千駄木)は、寺町浅草を知る上でいつも参考にしてきた。
じっくり読むと江戸の風景が自然と鳥瞰される。
また妄想・瞑想(迷走)の世界となってしまった。

今寝たら、江戸浅草の夢を見れるかしらん。

できたのはいいけれど…

待ちに待った、納骨式地蔵菩薩。

箱を開けてビックリ!

ワ~ン・・・違うようううぅぅぅ。

考えていた仕様が、ちゃいまっせ。
どうしよう。時間がないって言うのに。
彫りはいいけどね。

今日は、踏んだり蹴ったり。
まあ晴れの日もあれば、曇りもありか・・・

曇りい!

空梅雨から一変して、梅雨らしくなったはいいけれど

九州は大大雨。
大変だなあ…上さんの故郷の家は大丈夫か…

浅草も前線の余波で垂れ込めています。
墨流しのような雲です。

けど、活気!

素挽きの梅もいい

ナチュラル志向は念珠の世界にもある。

今までは玉の保護のために表面に
クリアーをかけるのが普通だった。

けど、

このほうが確かにいいよねえ。

黒檀、紫檀、柘植・・・
木肌が皆違う。
触った感触も。

だからいい。

気付きに気付く

近しい友に誘われて、講演を聴きに四谷まで
足を伸ばした。

西田天香師の創始された一燈園
一燈園の小中高一貫教育をされている
燈影学園長である相大二郎氏の講演会に参加した。

ネット以外の集まりに出るのは、久しぶり。

相変わらず、駆け足で急ぐ。

演題は、「教わる教育、伝わる教育」

声に出して教えるだけが教育なのではないことを
諄々と説明していただいた。

作務を通して体得させていく教育法。
「気付き」の大事さを改めて文字通り気付かされた。

感じるとことは、本当に大であった。

心で満たされ、
お腹も満たされた。

Sさんご馳走さまでした。

久しぶり!

最近お店にこないじゃないの…
どこにいたの?

おまえんとこ行っても、食えんニャン!

おいおい…

そっちは行き止まりだって。

いいんニャッ!

ルネサンス

ここに来るたびに、惜しいなあといつも思う。
歴史建造物とは言えないけれど、それなりに趣きはある。

東武鉄道が浅草に延伸し、新生浅草駅として開業したのが
昭和6年。

隅田川の淵に当時これだけの建造物を立てたのだから
難工事だったろう。

基礎杭には、コンクリート杭ならぬ、松杭が何十本も用いられた。
まさしく時代を感じさせる。

戦前の建物を知る古老の話を聞くと、
浅草の表玄関らしく威風堂々たる建物だったようだ。

屋上には、遊園地がありそれが楽しかったと教えてくれた。

残念ながら、東京大空襲の被害は、外観を残して
全て焼き尽くされた。

戦後の姿は、東京駅のそれと同様に
急場のこしらえと言ったら申し訳ないか。

今は外壁を厚化粧されてしまい、

時代のよさを隠してしまっているのが惜しい。

館内を歩くと遺産があちこちに残っている。

いっそ、創業当時の姿に戻したらどうなのだろう。

活き活き

活き活きと自由闊達な、
見るものの心を自由にさせてくれる、
何かで充たされる、

そんな彫りが好きだ。

弥勒菩薩

線が単純なほど表現が難しい。
その最たるものが、弥勒菩薩だ。

100体作って納得のできるものは1体あるだろうか。

その一点に会えたら言葉にならない喜びがある。