コーヒーのライブ
世の中こういう時代なのだ。
豆を挽き、蒸し、ドリップする。
進捗状況をいちいちディスプレーを通して実況してくれる。
これは画期的!
おりこうさんコーヒー自販機君だ。
そう。
世の中、判断は川下なのだよ。
ついでにいうならば、
蒸し時間の調整、
ドリップ温度調整、
注ぎ方まで、注文者がいじれたら、ロングテール時代にふさわしい
自販機が完成するだろうに・・・無理?。
タイムスリップ
仏壇のお届けに、横浜と藤沢の境まで出かけた。
横浜の清楚な住宅街であった。
ぼくの青年期を過ごした下町とは目と鼻の先でもあった。
もう30年も40年も経ってしまっているなあ・・・
と思いながら、浦島太郎を決め込んで車を走らせた。
案の定、あまりに変貌して道に迷うこともしばしばだった。
お届け先のお茶呑み話で、鎌倉街道が話題になった。
「ずいぶん変わったよ」の一言に
散々通った鎌倉往還の峠道に帰りしな向かうことにした。
そこは七曲という。
鎌倉への切通しのひとつになるのだろうか。
夜にもなれば狸も出そうな真っ暗な、文字通り峠道だった。
自転車で大船側からこの峠を越えると、「無事横浜に帰ってきた」といつもホッとしたものだった。
唖然とした。
30年の月日は、七曲の峠道をスロープに変えていた。
大船側に碑を発見した。
「鎌倉街道完成記念碑」だそうだ。
写真を撮っていると人が寄ってくる。
ものめずらしいのかなあ。
地元の80歳になるおばあちゃんに、懇切に説明をいただいた。
佐賀弁。まったく聞き取れない。
唯一、理解できたのは、54年住んでいる。という。
あ!身の上話ね。
ここもずいぶん変わったよ。とも話してくれた。
最後は、振り返り、振り返り別れた。
おたっしゃで・・・
いただきました
青空
宝蔵門も化粧直し、あと少し
人生摩訶不思議
もう十数年お付き合いしている貿易業者さんが訪ねてくれた。
もう70歳をとうに越えて年齢的に言えば
「おじいちゃん」と言われる御歳になるわけだ。
しかし、口が裂けてもいえない。
タブーである。
それよりも何よりも、実年齢よりはるかに若い。
全く歳を感じさせない。
着る物も、ぼくと比べても、はるかに若くセンスのよさが光る。
なにより、さりげなく着こなしている。
定年までは、某テレビ局でチーフプロデューサーをやっていたくらいだから、
芸能人にも知り合いが多い。
そして何人ものスターを世に送ってきた人だから、
彼にとってはごく自然な姿なのだろう。
最近、大病を患い、いろいろ思うことがあるようだ。
今日は、いつになく元気がない。
そのまま帰らせたくない気持ちになった。
「じゃあね」と立ち上がろうとしたときから、
昔話のモードのスイッチが入った。
人生のドラマは、聴いていて楽しい。
どのドキュメント番組よりドキュメントであるし、
一回しか生きれない人生を倍にしてくれているような感触をいつも感じる。
気がつくと2時間近く話し込んでいた。
子供の頃に観ていた番組を製作していた父親のような人と
こうしてコンビを組むのだから、人生摩訶不思議さを感じる。
イルミネーション 点灯!
光よ
待ちかねたぞ。
店頭…
じゃない転倒…
じゃない。
ついに点灯じゃ。
ピッカー
そして…
そんでもって…
ついでに…
まあ浅草らしいでしょ。
おまけにこれもだ…
今日もきれいでした。
浅草は、この季節
ようやく浅草にイルミネーションがついた。
雷門から駒形橋にかけての通り(並木通り)にである。
前にもお話ししたように
ここ浅草は、すでに正月モード。
浅草寺を中心の門前町だからしかたないにしても
いささか、気を遣いすぎじゃないのって思うことも…
ロケーションを最大限に活用するという意味では
地元愛に満ちているとも言えなくもないが。
東西霊性交流(東洋と西洋の宗教交流)が盛んになりつつあるのだから
ツリーの飾りが雷門にあっても
目からうろこで、たまには良いと思うのだけれど。
ともあれ、早く点灯しないかな。
すがすがしい気持ち
この浅草という土地柄、
海外のお客様のご来店が非常に多い。
この数年は、特に中国本土や東南アジアのお客様が、
明らかに目立つようになってきた。
以前は、欧米の方がほとんどだったのに。
こんなところにトップダウンの情報より、
草の根経済学のほうが、
現状の世界経済を肌身に感じるところだ。
海外のお坊さんもずいぶん来店される。
以外に思われる方も少なくないだろうが
西欧への日本の僧による布教は歴史が長い。
青い目の修行僧は、日本の本山で修行して地元に帰り寺を建てる。
そうした修行僧もいれば、アジアのお坊さんもいる。
開店早々、初めて接した外国のお坊さんは、
開放前のポーランドの雲水(修行僧)だった。
東欧圏から国を抜け出し、
禅の修行にこられていた若い僧だった。
下手に帰れば刑に服さなければならない。
命がけで修行していた顔は神々しくも感じた。
韓国、台湾、中国、ハワイ、米国、ドイツ、フランス…
本当にさまざまだ。
最近、
シンガポールの雲水さんとお付き合いをはじめた。
「何でも人にあげてしまうから、何にもないの」
といつも笑いながら、少ないお小遣いをもって
店に念珠を買いに来られる。
沙門(独身で生涯を通す僧)であり、
激しい修行をされてきたであろうことは微塵も見せない。
でも、わかるよ、それくらい・・・
指に文字通り火をつけ、仏を供養する。
しつこく聞き出す僕の要請に応じ、信仰の決意の一端を漏らしてくれた。
目がきらきらした青年だ。
国を越えてまで修行を極めようとする心が、
かの昔、日本の僧が命がけで荒海を越え、
唐の国に仏法を学びに行ったその姿とダブってしまう。
毎回顔を見るたびに
何とも言えない、すがすがしい気持ちにさせられるのだ。