ミツトヨの事件に思う

仏教の振興を願い、その布教費捻出の為、
創業したミツトヨ。
沼田惠範師の創業の志しは、いずこへ消えしか!
「悲しい」のひとことに尽きる。

三豊の由来
人間として立派になるには、
智・仁・勇の三つが揃わねばなりません。
智だけではつめたいし、仁だけでは弱くなるし、
勇だけでは行き過ぎる場合があります。
そこで、智・仁・勇の三つが揃って、
初めて立派に完成した人間といえます。
また、事業として成功するには、天・地・人の三つが必要です。
天のとき、地の利、人の和を得てこそ、
初めて事業として成功します。
このうち、どれ一つを欠いても成功はおぼつきません。
仏教が弘まるには、仏・法・僧の三宝が基本であり、
また、キリスト教では三位一体が根底となっています。
立派な人間が沢山育ち、事業も繁栄し、正しい宗教も弘まって
世の中が平和で、各人楽しかれと願いを込めてつけたのが
「ミツトヨ」という名称です

仏教伝道協会を創設し
仏教聖典を編纂し公共の施設に寄贈された冊数は
計り知れない。

この至誠に、感化されて事業に一筋の光明を感じ
目標の一人だった。

創業の志しに帰れ!

デリバリーを考える

通販をしていると
デリバリーに対して、いつも考えさせられる。

デリバリー業者にも二通りある。

ひとつは、お買い上げの商品を配送できさえすればよいと、
割り切って考え、とにかく安い配送代であればよい。と考える場合
僕はネットで頻繁に購入する。要はヘビーユーザーと思う。
買うときは、とにかく届けばいい。破れてさえいなければ。
この程度でよいと思う。

もうひとつは、
販売店のイメージを損なわない、営業のフィニッシュマンとしての
運命共同体と考える場合とがあると思う。
高額商品を扱う場合や、メンタル性の高い商品は、
後者でないと、商品を道端に投げるようなものであろう。

町の電気屋さんがいまだに、(というか今だから)
量販店の販売力をものともせず、勝ち残っていけるのも
メンタル部分が、とても大きいからだと思う。

一部の量販店だったが、昔、エアコンを注文した。
技術の担当が、取り付けに来た。
ほどなく取り付けを終え、記念すべきスイッチオン。
送風口からは、まあまあ涼しい風が出ていた。

彼らが帰ったあと、もう一度、涼もうとスイッチを入れる。
期待して風に当たる。が、いつまでたってもなまぬるい。
再度、電源を入れなおしてみるが、温度がいっこうに下がらない。

全く原因がわからない。
クレームをつけるが繁忙期のため時間がかかるという返事。

結局、稼動できるようになるまで、1週間強を要した気がする。

もし近所の電気屋さんから購入したものであったなら、
すぐに飛んできてくれて、
その日のうちに用は足りだろうと思う。
この差は大きい。

○○引越しセンターが、
「私たちの仕事は運輸業ではない、サービス業だ」という徹底した考えが
引越し業者として、転勤族の奥様方からきわめて高い評価を受け
業績を伸ばした話は、あまりにも有名であるが、
運輸業は、すべからくそうなのだと思う。

人は物を買うのであるけれど、物を買っているのではない。
夢を買うのである。

その夢は、包みを開けるその瞬間まで続いている。
(もちろん、使用していただく後々まで続く)

夢を抱いてお買い上げいただいた商品。
ドアツードアの最終のドアで、もし気配りが足りなければ
全ての夢はそこでしぼんで、全ての心のドアは閉じられてしまう。

だから、デリバリーは、「他社」ではないのである。
「同志」でなければならないと思う。
「異体同心」であって欲しいと思う。

商品を配送業者に手渡すたび、
「ちゃんと配慮して渡されますように」

と、思いながら預けるのが、日課なのである。

理想と現実のはざまで

まだ、この仕事をはじめるか迷っていた頃、
「商売」そのものにどうにもできない嫌悪感を持っていた。

安く仕入れて、利を上乗せして儲けるということに
嫌悪感が生じる。払拭できないでいた。

さんざん貧しい生活を強いられてきたはずなのに
お金の顔を見て、目の色を変えて喜んだのは、
守銭奴児童の小学生までだった。

公に使うなら、私財をはたいても良いなどと
美辞麗句を口では並べながら
その実、利を取っている団体や商人を見ると
「偽善者」といつも小声で叫んでいた。

だから、商業の道の条件が揃っていながら、
頑として、技術者の道を選んだ。

それが、商売をしようと思いたつのだから
人生は、わからない。

生きていく為の術と簡単に割り切れるほど、
僕の心の中に染み付いた、
別人格にも近いほどに育ってしまってた自分を
変えることは、そう簡単な作業ではなかった。

まずその心の檻をどう納めるか、
現実と理想との摺り合わせが必要だった。
そんな作業からはじめた。

頑張る

作った作った。

お盆の喧騒さの中に、制作意欲もかき消されていたが、
おとといから夜なべしながらも
お直しも含めて90本くらい仕上げることができた。

いつも
直しをするときは、持ち主の心を感じながら直す。
面白いもので、修理品を見ていると、
持ち主のイメージが、ふぉわっと浮かんでくる。

80年前の念珠というのを直したことがあったが

それはそれは、美しかった。
黒曜石をろくろで1粒1粒、手で磨いたのだろう。
玉の一個一個が個性を持ちながらも、念珠全体が
よく調和していた。

昔の念珠師の心に触れた気がした。

創作念珠を仕上げるときは、夢を見ながら手を動かしている。

サンバ間近

毎年、黄色い提灯が通りに下がるようになると
どんなに暑い日々の毎日でも、

もう「夏の終わり」を感じさせられる。
どこからともなく秋の空気が流れてくる。

「パブロフの犬」と化す。

40年ぶりの再会

日曜の朝は、
いつも、「所ジョージの目が点」を見ている。
メールの処理をしながらの話なので
聞き流しが多いが
けっこう役に立つ。

雑学の好きな人には格好の番組と思う。

今日は、「水中昆虫」のお話。

いわゆる「ゲンゴロウ」である。
懐かしい響きに、メール作業の手が止まった。

「アメンボウ」「タガメ」…
おお・・・
出てくる出てくる。

子供のときは、昆虫図鑑と自動車図鑑を手放したことがなかったほど、昆虫を追いかけていた。

昆虫でなければ、
車の排気ガスを
「あ~いいにおい」ってな具合で、これまた追いかけていた。

まだ、トンボを追いかけることのできる原っぱも、
底なし沼も、首都圏とは思えぬほど残っていたころだから
それは、子供の目には、宝物のちりばめられた空間であったことは、紛れもない事実であった。

ゲンゴロウは、なかなか捕まえられなかったけれど
毎日のように、何かしら捕まえてきていた。
つかまえると、図鑑とにらめっこ。
というのが、楽しみだった。

40年近く遠ざかっていた昆虫の名前に、
テレビではあったけれど、久々に出くわし
旧知の友と再会するような心持だった。

画面を通して感動的な登場だった。

「ゴキブリ…!?」

おいおい。
こんなの平気で捕まえてきたっけ。

水にもぐるゴキブリ…

そういえば、
夕べやっつけた、ゴキブリがダブって見えた。

矛盾 その二

タバコの顔を見なくなって久しい。
しばらくぶりに再会した。

近くのスーパーで買い物を終え、
階上にある駐車場へ行く為、エレベーターを待つ。
手持ち無沙汰にしていると、ふと自販機が目に入る。

何とはなしに目が走る。
見ると「300円!」どえらく高くなったぎゃあ!驚く。
それ以上に度肝を抜かれたのがこれ↓

洋もくだけではない。
国産品にまではっきりと印刷されていた。

以前は、可愛く「健康に気を付けましょう」というくらいであったものが、
しっかりと誰の目にも読める。

中には、老眼鏡をかけなくても読めるほどの大きい字で、
遠まわしに吸うなと言っている。

「吸うのは勝手だけど、お前のせいだよ。おいらには関係ないからね」
へそ曲がりには、読めてしまう。

そんなに、医学的にはっきりしているの?
無知な僕には、それ以前の?が湧いてきた。

そんな、
体に悪いもの、売るなよ。

わかっているんだったら、
自販機なんて、誰が買ってもわからないような売り方するなよ。

品行方正にそう思うのは、無理があるだろうか。

ちゃんと、「たばこや」のみいちゃんが
窓越しで、お金を受け取って、
「死にたいのね」
って聞いて、「はい。毒よ」
にっこり微笑んで
誓約書を渡したら?どうよ。

「私の責任です。誰の責任ではありません。 印」

そう書いてあったりして…

国民と財産を守るはずの、お上に関係のあるところが、
ドクターキリコ並みの注釈つきで、まだ売っている。とは…

あー驚いた。

遡流

ネットの友人と話している中で
ふと、気が付いた。

衣食住という言葉がある。
人間、最低必要な欲求である。
衣食住を必要な順番という人もいる。
(食が先だという意見もある)

着るもの
食べ物
住むところ

その順番を逆にすると
人格形成に、影響を与えてきた順番
のような気がする。

住には、もちろん家を取り巻く環境
つまり人と郷土も含まれる。

故郷には、友人があり、家族があった。
人それぞれ違うだろうが、親のぬくもりがそこにはあった。

「3丁目の夕日」を代表とする昭和30年代が
その時代を知らない若い世代をも巻き込んで、

妙に懐かしがられている。

なぜだろう。

虚弱だった僕には、医療は、
きっても切れなかった間柄だけに
適切な医療も、医師も少なかった、
この時代は決して楽ではなかった。

その時代に戻れるとしても、もう結構と断るだろうほど
つらいことが多かった。

母子家庭だった我が家には、さらに貧困という過酷さも待っていた。

けれど、その時代がとても郷愁を誘う。
決して記憶から排斥したいとは、思わないのである。

なぜだろう。

「終の棲家」を考えるとき

その時代のイメージが湧き出てくる。

鮭は一生を終えるときに遡流する。
もちろん子孫を残すためにではあるが、
なつかしい川の匂いをたどりながら、何を思うのだろう。

鮭の一生になぞらえるのではないが、
その匂いの元が何かを
そろそろ、嗅ぎ出しはじめ出したのかもしれない。

己の言動にときどき驚くのだ。