生きる言葉

持ち出しで、ずーと続けている道楽がある。

写経会。
ただ、年月だけは二桁になっってしまった。

「忙中閑(ぼうちゅうかん)が大事だよ」と師匠のような父親のような恩師の言葉を実践するつもりではじめ、今まで続けてきた。

もうやめようかと何度、思っただろう。

けれど、そんな思いをもちながら、会に臨むと
決まって誰かの口から

「ここがあるから助かったのよ、ありがと」
「来れてうれしかった…」
などと、耳にする。

必ずである。

お店の運営にも同じことが多い。
この仕事も決して順調なわけではない。

「世の中不景気でも仏具屋は、景気知らずだからいいね」
などと無責任に聞こえる一言を、ぽんと投げかけるお方が
いらっしゃる。
「じゃ、やってみたら」などとは口が裂けても言えない。

世の中そう簡単ではない。

それは、昭和の中くらいまでの話だろう。
食えなければ、はじめにカットする経費は
見えざるものへの経費なのだ。

「ご先祖さんは後ね。生きて働く人が大事だもの」
と言うではないか。

見えざる部分から、まずカットするのが常套手段である。
本当は、逆なのだけれどね…。

もうだめだ。そう思ったっことは数知れずある。
なのに、月末になると、不思議と救われてきた。

「あんたのお店があってよかったよ」
「会えてよかったよ」コールをいただくのである。

労働価値説なんてどこかの誰かが、昔いっていたけれど、
労働以上に大切な何かを感じる。

労働へ、いざなう「意欲」に価値があると思う。
意欲を持たせる「一言」に価値があると思う。
・・・・・・

その一言を、一人からでも、いただけるならば、
まだまだ、この仕事を続ける価値があるのだろう。

あんこマン

まだ、日中というのに浅草は、花火大会の影響で
やたらと浴衣の若者の姿が目立った。
日本人はやっぱり日本人だね。と思いたいのだが

着慣れていないことは差し引いても、
「できれば、ブランド物は、あまり似合わないよ」と言いたくなる
おじさん心を抑えるのに精一杯。

お店もそれなりに活気があって楽しい。

お客様と応対している最中に
Sさんの来訪があった。

「はい」と渡された
誕生日をすっかり忘れていた。
いつも子供の誕生日のおまけだった僕の記念日は
いつの間にか埋もれてしまっていた。

「仙太郎」初めて聞く和菓子屋だった。
あんこマンのこの僕も知らなかった。


小豆が活き活きしているんだよね。
え!わかるのかって?それくらいわかるさ…

一緒にいただいた小雑誌
「菓子屋のごたく」はさらに、嬉しかった。
自社製品の目録程度のものと、さらっと目をとおしていると
これが、なかなかどうして、職人気質を絵に描いたような内容だった。
どっちでもいい
表示に頼るな! 
清貧  ・・・etc

道義書のような内容に、これが目録?
と思える貴重な(僕には)本だった。
いつかほんの主に会えるだろうか。

縁をいただいたSさんに感謝。

今日はこれ。

今日の昼食はこれ。

けれど、口に入ったのは、夕方も6時
「じゃあ、夕食じゃん」と言うなかれ。

袋には、「朝食」と書いてある。
ならば、これは立派な朝食なのだ。
食生活が知れてしまうが、仕方ない。
今日は、これ一食だ。


トマトジュースで練っているというだけに、パン生地の色もトマト色。
中にウインナーとタマゴサラダがわずかに入っている
甘くないので、朝には確かにいいかもしれない。

ココアは、さっぱりしていてインスタント特有の
いやな後味がなくて、おいしい。

さて、明日は何にしよう。

食べちゃった

朝、メールチェックをし、
「ながら仕事」をしているうちに
朝ズバファンになってしまった。

6時ごろになると、腹も減ってくる
そこに、朝ズバパン。つまり企画商品ですな。

何でも新しいことなら、首を突っ込みたくなる
この性格。
何とかならないものか…

買っちゃった。

ホワイトチーズが挟まっていて、なかなかいけるぞ。
明日は何にしようかな。

時代を生きると言うこと

手元に一枚の写真がある。

格子に、すりガラスをはめた引き戸の、玄関前に
着物に割烹着姿に、ねんねこをつけ
おぶさり甘える子供は、一歳くらいの坊や。
お母さんは、とても若いのに、どこか凛とした清楚さを持つ。

お顔は現代的で、洋装に着替えれば、今の時代にも何にも不思議なく
溶け込める容姿だ。

昭和31年ごろの写真という。
同じ時代の人なら、思い出の片隅に、皆持っている光景だろう。

一瞬にしてタイムスリップをした。

少し前に亡くなられたのだという。
ご自分をこよなく愛してくれた母の似姿で、
観音様を彫りたいというご要望だった。

お写真を拝見した瞬間、
初対面にもかかわらず、懐かしくて、胸に詰まった。

話してみると、ご依頼人も私と同じ時代を生きた方だった。
と、すると、この中の坊やは、私の姿でもあるか・・・

どこにでもあった光景。
けれど、今は、どこにもない光景。

その時代の断片では、
今は、老女となった父も母も若く生きていたのだ。

いのちは連続している。
バトンを渡しながら次の時代を生きていく。

その時代に生きると言うことが、
渡されたバトンを持ちながら、懸命に生きることを、
なぜだか、今日は染み入るように理解させられた。

メルマガ出せないよー

メルマガを書かなくちゃ。
準備号を発行して一ヶ月過ぎてしまった。

サボっているわけではないのだが
時間が物理的にとれない。
言い訳だ。
いいわけでしかないのは、充分わかっている。
書きたいことは山とあるのに…

福島から来た友人にも、書かないのはもったいないわよと
釘を刺されてしまった。
まだ、習慣化してないのもあるのだが、
直しと製作に追いまくられている。

職人として、販売員として、WEBマスターとして、店長として、
そしてライターとして頑張らないとね。

もうちょっと待ってて下さいね。

おみやげ

これは古派で使うお線香、これは安いの・・・。
と、講釈し始めた。

いつも海外に行くと、頭の隅みに置いて、何かで驚かせようとして
現地のお土産を持ってきてくださる。Mさん。

始めまして、よく存じてます。

ネットで勉強しあった同期のオフ会を浅草で行った。
オフ会といっても、昼食を共にする程度の短いものだった
けれど、オンとオフでは感じる世界が
まるで違う。

初めて会うのに、初対面の気がしないのは
先に心の交流があるからだろうか。

いつも感じるネットの不思議さだ。

浦島くん

忙しい忙しいといいながらも、やりたいことだけはやらないとね。

EC研究会の勉強会に、どうしても聞きたい内容があった。
参加したくて、店を飛び出した。

出掛けになると、いつも仕事がホイ!と入ってきて
身動き取れなくなるのが常なのだけれど、

今日もご多分にもれず仕事となり、一瞬ひやっとしたが、予想以上に早くに解決し、急ぎ神田に向かう。

先回からWeb2に関したゲスト講師ばかりで、目が離せない。

EC関連では、ワイナリー和泉屋の社長さん。

一見すると、どこのおじさん?と自分のことをさておいて、感じる風貌であったが、話の内容には、ヒントの種がごろごろしていて、ちょっと圧巻であった。

少しのぼせた頭をクールダウンさせながら、神田駅に戻る。
その途中・・・

実は、もうひとつ目的があった。
ここ神田にくるたびに、
実は、スポーツ自転車の草分け的存在「アルプス」を探していたのだ。

しかし、方向音痴に気ぐるみを着せたような僕には、
今まで何度足を運んでも、見つけることができなかった。

が、今度は、違う。準備万端なのだ。

ちゃんと番地を控え、
あらかじめマップファンで確認し、準備をした。

果して、探し当てた。

何のことはない。
前にも通っているじゃないの。

なぜ、見つからなかったの…

少し古いなあと思う戸をくぐる。

主人は、同じ年くらいか、
いや、ちょっと上だろうか。
自転車屋の親父という風貌。

伺った旨を告げると、

10年15年ブランクのある人が、
ここ最近、また走り出す方が多いという。

彼は、浦島太郎の「浦島さんと呼んでいる」と
笑って教えてくれた。

「は~。みな考えることは一緒か。」
心でため息をついた。

団塊の定年と関係しているんだろうか…

「けれど、自転車環境の変化に、みな驚いているよ」と
驚いているのは、僕だけじゃないことを慰めてくれた。

(実はもうちょっと長いの)
30年走っていないとは、ちょっと言いづらかった。

ジンクス、未だ破られず。

この仕事に就いて、20年を経過してしまった。
その間、何台(わが業界では何本と言うが)
仏壇を納めてきたただろう。

初めの頃のお客様は、よく赤飯を炊いて待っていてくれた。

仏壇が、ただの箱物ではないということ。
しかも、死者のみ霊箱の為だけのものでもなかった。
とてもめでたいことなのだ。

本尊と仏さん(ご先祖さん)をお住みになっていただくおうちを新築した訳で
上棟式にお餅やお菓子を、地方によってはお金を撒く、
それと同様のものなのであるわけで、しょうがなく買うというものだはないのである。

だから、こんな若造が(当時の話)、出向いても
「良くぞお持ちくださった」とばかりに
下へも置かない待遇であった。

当時は、たいへん恐縮したものだ。

そうした、仏壇であるから、こちらも細心の注意を払って
お持ちした。

特に天候には気をつけた。
気をつけても、相手はまさに水もの。

思うとおりにはいかない。

あるとき、土砂降りの中、出向く羽目となった。
「施主さんは、雨の日に納品なんて、いやだろうなあ」
と思いつつ車を走らせた。

都内ではあったが、緑が多い。
アジサイや花々に木をとられ雨のことなどすっかり忘れていた。
車から降りると、
むっと、むせ返るような暑さ。
「あれ」雨どころか、雲間から日が差している。

これは好機とばかりに、急ぎ運び込んだ。
運び込みが終ったとたん、まさしく「とたん」に
ザーと、すこぶる強い雨足となった。

その日まで気づかなかったが、「納めのときに雨の中」
ということは、一度たりなかったことに気づかされた。
1年前の話である。

以来、どんな不利な状況でも、
大舟にいつも乗っている。

今日も例外ではなかった。