浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
夏の定番
夏になるとこの画像がルーチンだ。
昭和のおおらかな時代の好きものの遊びの一コマだ。
富士山頂上から百メートルほど走った所あたりかな。
このあとものの見事に空転をかまして背中から着地しているが友は撮り逃した。
最近、富士山のブル道がテレビに映っていた。
各山荘に荷をあげるために毎日往復している話や傷病者をふもとに下ろすために頑張っている話し。並行して最近の富士登山の状況も映し出され無謀な外人で関係者の頭を痛ませている現状も少し飲みこめた。
弾丸登山はダメと言うのが最近の常識のようだ。が昭和の僕らの時代は、仕事が終わったその足で5合目に向かい日にちが変わった頃に登山開始とにかく多かったのを覚えている。若者にはそれがトレンディーだったのだろう、人ごみの中を歩くようだった。自転車を頃がしているのは奇異の目にさらされるのを覚悟の上だったがどこ吹く風だった。
弾丸登山も疲れたら斜面で大の字に寝転で休むなんてまゆをしかめられる行為になったんだと。
まして自転車を担ぎあげ、頂上から自転車ごと転がり遊ぶなんて。。。さ。
浅草のそら
浅草のそら
同じ位置ではないけれど、おおむねここか。
誰が請来こんな無味乾燥な風景になろうと思っていただろうか。
昔は地元の子供達が道路(都電の線路=電車道)を挟んで向こうとこっちでキャッチボールをして遊んだという。なんと自由な時代だ。