浅草のそら  赤い鳥ことり何故なぜ赤い♪

朝ブラに出かけようと街路樹の下を通ると、ドサッ!何かが落ちた。
ポトンじゃなくてドサッだったからどんなに鈍いTONちゃんでも、ん?っとなった。
何個も赤い実をつけた塊だった。ふと上を見ると点々と木の枝のここそこに色彩を放っていた。

モクレンに赤い実がなっていて、よろこんで腹減りカラスが突いて🐦‍⬛いた。

赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い、赤い実を食べた🎵 知る人は知る童謡だ。子供時代は可愛くよく歌った。青い鳥は青い実を黄色い鳥は黄色い実を、赤い鳥は赤い実を食べるからそれぞれの色になる。ホントに信じていた。

ほんじゃ赤いカラスにいつになったらなるのだろう。

浅草のそら

台風がはるか南の洋上を通過中ゆえ天こう悪し。けど浅草は混雑。
昨日久しぶりにおみえになったお客さまからの弁で浅草の香りが消えた。と。
うまいこというなぁとTON。町の匂いはそれぞれ独特のものがある。
土地から香り立つもの、行きかう人の体臭や香水やなんやらかんやらの付随した匂いの入り混じた町のもつ体臭なのだ。良い悪いではなく町の持つ特性なのだと思う。五感で感じる部分もある。ひっくるめて町の香りなのだ。
故郷の横浜の奥地に帰ると、横浜駅や桜木町辺りとは違う立ち昇る香りがある何かはわからなかったが、昨日の話しで、そうね、人なのかも知れないな、と思わされた。

僕の記憶の中にある町の香りとは違うのだが。

浅草のそら

今日10月10日は昭和39年の東京オリンピックの開会式の日。5機の自衛隊機が青空に五輪のマークを描いた日。まだ小学校だったTONにはそれぐらいの想い出しか持たない。
鬼の大松監督率いるバレーの試合を白黒テレビで観て、毎日毎日オリンピック中継に飽きが来てさっさとオリンピック終わらないかなぁと思ってみたりして閉会式の自由な行進スタイルに少し感動したりして閉幕したが、オリンピックって何だ?しか印象に残らなかった。
市川昆監督の「東京オリンピック」の映画を学校推薦で観てようやくオリンピックの全貌を感じる事ができた。その程度のTONであったのが大人たちの狂乱ぶりとのちがいであった。

最近新聞やネットニュースを見るにつけ一党のトップに就いた方をこれでもかというほど腐らす言葉が並んでいるのを見るにつけ、日本人の言魂の質が地に落ちているのを感じて止まない。

言葉というのは怖い。
生きた言葉なら死にかけた人をも生かす事ができるけど、腐臭のする言葉には人を腐らせる死に至らせることすらある。
若い頃のあるときまで人の言葉を全く信じなかった。正直には信じれなくなっていた。
ま、人の言葉に何度も傷ついたし、落とし込められた記憶ばかりで充満していたからであったためなのだが、そこから這い上がるには時間を要した。
でも落とされたのが人ならば、這い上がれたのも人の言葉だった。

そんな事をふと思い出した。

浅草のそら

台風が近づいているせいか朝から風がすこぶる強い。
おかげで暖かい空気が吹き飛ばされて今夜あたりから寒くなるでしょうか。ね。

浅草のそら

今日はと言うか夕べからお葬儀の手伝いだった。
家族葬や直葬が当たり前になったここ最近の葬儀、1000人近い弔問客に溢れた。
昔は人は死んでその大きさを知ると言ったものだが、多くの方に影響を与えていたんだなぁと気づかされた。

人はいつか死ぬ。死なない人はいない。
「正月は冥土の旅の一里塚」とは一休禅師の言葉だっただろうか。
何が平等って遅かれ早かれ誰もがあの世に行くと言う事に変わりなしと言う事だ。
だからこそ死をどうとらえるか捉えないかで、天地の開きのある生き方になるだろうことは厳然たるリアルなのだ。
自分はどうだろう。あの世のあることは子供のうちから肌身に沁みて信じている。それだけに悪いことはできない。今の時代は特異な部類なのかもしれない。あの世はあるのだ。あるんだから仕方ないだろう。嘘を言え。と言われても言われてもあるものをないとは言えない。
証明できる英知をもつ科学者でもない。

でもよく考えれば、様々な法を作って罪に至らない手立てがされてきているが、あの世があると証明してくれる科学者が生まれないものだろうか。それが一番罪に対する抑止効果となるのに。そういう機械早くできないかなぁ。。。

浅草のそら

雨です。どんどん秋が深まります。けど暑い。

昨日のそらです。はい。おもしろい雲だったのにアップし忘れました。