 
今日10月10日は昭和39年の東京オリンピックの開会式の日。5機の自衛隊機が青空に五輪のマークを描いた日。まだ小学校だったTONにはそれぐらいの想い出しか持たない。
鬼の大松監督率いるバレーの試合を白黒テレビで観て、毎日毎日オリンピック中継に飽きが来てさっさとオリンピック終わらないかなぁと思ってみたりして閉会式の自由な行進スタイルに少し感動したりして閉幕したが、オリンピックって何だ?しか印象に残らなかった。
市川昆監督の「東京オリンピック」の映画を学校推薦で観てようやくオリンピックの全貌を感じる事ができた。その程度のTONであったのが大人たちの狂乱ぶりとのちがいであった。
最近新聞やネットニュースを見るにつけ一党のトップに就いた方をこれでもかというほど腐らす言葉が並んでいるのを見るにつけ、日本人の言魂の質が地に落ちているのを感じて止まない。
言葉というのは怖い。
生きた言葉なら死にかけた人をも生かす事ができるけど、腐臭のする言葉には人を腐らせる死に至らせることすらある。
若い頃のあるときまで人の言葉を全く信じなかった。正直には信じれなくなっていた。
ま、人の言葉に何度も傷ついたし、落とし込められた記憶ばかりで充満していたからであったためなのだが、そこから這い上がるには時間を要した。
でも落とされたのが人ならば、這い上がれたのも人の言葉だった。
そんな事をふと思い出した。