
久しぶりに「めぐりん」登場。

水晶ネックレスの原型です。
水晶切子のネックレス。どこでも見る一般的なものです。女性の好みのわからないTONでありますゆえ、首周りの装飾として付ける人も少なくなっているのかな。真珠のネックレスと同様で、タンスの肥やしになることが多くなってしまったということも否めませんね。
で、お客様の持ち込みのご依頼としては、念珠に衣替えしたほうが良いのではということでありました。
ネックレスにする玉と念珠の玉の根本的に違うところは玉穴の大きさ。片や( ̄▽ ̄)イコールおっとっと、こっちです ≒ 1mm
かたや≒1.8mmです。この0.8mmの違いが大きいの。
そして穴周りの面取りです。そっと首にかけている装飾品と違って念珠は法具ですからね、じっとしてはいないわけで、動的なシーンが多いわけです。太い糸をなるべく通して持ちが良いようにしたいというのが正直なところです。
でも小さい穴ながら懸命に通しましたよ。茶水晶の道具と合わせて出来上がりです。

切子水晶と房の金茶色がよく合いました。
浅草のそら

少し暖かいですが、桜はすっかり葉桜です。
浅草のそら 何じゃこりゃ~~サムイ

雨に開けて雨に暮れるようです。雪でないだけましかな。。。
浅草のそら
浅草のそら 今日は花祭り。
久しぶりのお湿りと風に土手の桜も半分散っていました。 でも入れ替わりに葉の新芽が吹いてきていて黄緑色に包まれ始めました。
今日は花祭り(灌仏会)です。
お釈迦様がお生まれになって2583年(仏紀)ということね。

甘露の法雨とでもいうのでしょうか。。。
令和の御代は目の前ですが、日本には皇紀という表記がありますね。そう神武天皇が即位された国のはじめつまり肇国の年から数えて何年かという日本独特の紀年法です。
では今年は皇紀何年?
皇紀2679年となります。すると来年は・・・皇紀2680年
皇紀2600年と聞いてピンとくる人は僕ら世代より上の人かよほど歴史好きとなるのでしょうが、昭和15年は幻の東京オリンピックの年だったわけですね。それからちょうど80年後に再び東京オリンピック。なんと言うことでしょう。。。
知っている人は知っていたのでしょうが、TONは今初めて気づきましたよ。ついでに言うとその年に冬季オリンピックも札幌で開催する予定であったことも。
仏紀から随分それちゃいましたが、要するに、ますます来年という年に期待に胸躍らされそうです。。。ということです。はい。
早朝はぐる~り一周。
TONは、仕事でヘタたっていない限り、コケコッコと一緒に目を覚まし、台東区の東西南北の境界線まで足を延ばすのを日課にしている。まぁ…東は目の前の隅田川が墨田区との境界だからものの二三分で終わってしまうので、スカイツリーを越えて江東区の境界あたりまで走る。
都会の真っ只中、行けども行けどもコンクリートジャングルであることは否めないのだが、とは言うもののそれなりに四季を愛でることができる風景はちゃ~んと、というか案外用意されている。
人の営みがある以上、どんなに小さかろうが、自然があちこちに用意されているし、猫のひたいほどのお花畑も生きているものだ。だから365日続くのだろうと思う。
八重の桜が満開を迎えている。ここは浅草観音が示現された場所。
1400年前の故事であるから見たわけではない。けれどお堂が今に至るまで守り続けられているのはすごいことだと思う。
駒形堂を囲むように植樹されてる八重桜は、お堂(馬頭観音さま)を荘厳しているかのようである。
そうそう!今月の19日は駒形堂の大祭なのであります。花散らしの雨や風が吹きませんように・・・

江戸時代まで殺界であったことから目の前が豊かな漁場でも漁労はできなかった。
今日は南行きで両国まで。
横網町の東京慰霊堂携帯の桜がどうなったかなということで心が誘われた。
もう盛りは過ぎてだいぶ花びらは落ちていた。

根っこマニアのTONであります。すごいよね。この大地の掴み方。
震災記念館も新装オープン。とは言っても文化財です。修復が終了してました。
浅草のそら
浅草のそら
昨日から太陽頼みだった春の雰囲気が、お日様が隠れてもなお気温が温む夜桜にちょうど良くなりましたね。

ようやく咲きました。

けど・・・こんなのも・・・
浅草のそら

ようやく春らしい大気温度。
ねっこ好きのTONは地上に見える壮大さより地下の部分に魅かれる。
10mを超える大きな街路樹でも1m角程度の窓が地面に開いていることが多い。この窓からどれだけ外界とつながっているのだろうかといつも思いながら通り過ぎる。
朝ジョグのコースにしている墨田川の両岸の桜も公園という名目のために樹木の際まで舗装が施されて人の通行に利している。さすが5mを超えるほどに成長してくるともう堪らず根っこが舗装部分を押し上げて生命の強さを示し出す。
大木には大木なりの言い訳があるはずだ。しかし人は構わず木の言い分を聞こうともせず大切な根っこの上を歩き固めていく。く、苦しい・・・・

延ばした根っこから新芽が次々に芽を出している。
実にアートだなと惚れ惚れし、足を留める。
気には気の理由(わけ)がある。直ぐな気持ちになって聞いてみたいよね。







