「浅草のそら」ならぬ、「東京のそら」です。
スカイツリーと東京タワー両方が写っていますよ。。。

見えない?
スカイツリーは向かって左の奥です。

東京タワーは右の方

増上寺の裏手の丘の上に立つ東京タワーは、以前は周りに何もなかったから一人勝ちだったんですけどね・・・
今はビルの合間に隠れています。
鉄塔よりビルがその高さにそそり立つ時代になってしまったのですからね。。。
「浅草のそら」ならぬ、「東京のそら」です。
スカイツリーと東京タワー両方が写っていますよ。。。

見えない?
スカイツリーは向かって左の奥です。

東京タワーは右の方

増上寺の裏手の丘の上に立つ東京タワーは、以前は周りに何もなかったから一人勝ちだったんですけどね・・・
今はビルの合間に隠れています。
鉄塔よりビルがその高さにそそり立つ時代になってしまったのですからね。。。


大暑の昨日よりさらに朝は涼しかった・・・というより寒かったという表現が正しい。これが7月も終わろうとする今日の気温。。。




梅雨が去ったようにカラっとしていた。早朝。
東京のお盆が終われば、次に来るのは花火大会という順番になる。
今年は31日が都知事選に当たるので、30日が雨や強風であれば中止となってしまう。
一か八かではないがお盆行事の最後を締めくくる花火大会と思うと天に祈る気持ちなのだが、最近の花火大会の様子を見ていると、とても精霊流しと同列と呼ぶにふさわしい先祖の送り行事とは思えないわけで、そういうことからはTONは冷ややかに見ている。
浅草観光という観点のみの花火ならこれでいいのかもしれないが・・・・


あすは海の日。
明治神宮のHPで確認すると以下のように海の日を説明している。
平成7年「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正され、平成8年から7月20日の「海の日」は「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う」趣旨により祝日となりました。
ところでなぜ、この日が選ばれたのでしょうか?
明治9年(1876)6月2日、明治天皇さまは東北・北海道御巡幸にお出かけになられました。埼玉・茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の各県を御巡幸されたのち、7月16日青森から御召艦に御乗船され、函館を経由して20日横浜へ御帰着されたのでした。『明治天皇紀』によれば、3日間荒波のため動揺はなはだしく、遅れて夜の8時すぎに入港したそうですが、明治天皇さまは終始“端然”としておられ、港で待ち受けていた人々を安心させたそうです。これを記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され、平成8年から「海の日」として祝日となったわけです。
またこの時に御乗船された御召艦は、灯台巡視船「明治丸」です。明治6年に英国グラスゴーのネピア造船所に発注して、伊藤博文が「明治丸」と名付けました。8年2月横浜に回航され、その後灯台巡視船として活躍し、明治天皇さまの御巡幸に際しては東北・北海道御巡幸を初めとして数次にわたって御召艦となりました。
ここで大事なのが明治大帝が東北をご巡航なされて横浜に帰港された日ということを記念されての記念日ということなのである。
戦後生まれの者としては、この説明ではどうもピンと来なかったのだ。
で、よくよく考えてみると明治9年といえば戊辰戦争が明治2年5月18日箱館戦争終了に伴い終了してわずか7年の歳月。
東北といえば奥羽越列藩同盟の激しい戦いの余韻は決して消えていなかっただろうことは察することができる。
(ちなみにTON家のご先祖様も官軍を迎えて首を揚げた口なのだが脱線しそうなので省略)
ましてや賊軍の汚名を着せられ先祖伝来の土地を追われ津軽の未開地に入植させられた旧会津藩を筆頭とした諸藩の怨恨は東北の地に満ち満ちていたことだろうと察するのである。
明治大帝はその東北をご巡航なされたというのである。
さらに以下のように記載された文に出あうことができた。
出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿る。
この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎し、明治天皇は各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。
郡山では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。
弘前の「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を下賜された。
或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。
どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体であることを改めて痛感すると共に、東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。
この東北・北海道の巡幸を以て、戊辰の役での瞋恚は慰撫され逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。
とTONはこういう逸話がどこかに紹介されているだろうと予想したのだが、どこにも見つからない。
正しく知る事抜きで、この祝日の意義をどう理解できるのだろうか。
祝日は=休日としか考えられない。
いい大人がしめた!休みだ!としか捉えられない今の海の日はどうなのかなと考えてしまう。
歴史が連続していない。
自分が生きているという「今」と過去の出来事が別次元の絵そらごとになっている。
実感が伴わない。
いつか、民族の意義すら薄れていくのではと危惧してしまうのだ。。。
せめて、せめて、7月20日は7月20日でなければいけないんだと思う。