梅が咲きました

ようやく当店にも春がおとづれました。

繭たまが下がっていると正月気分がなかなか抜けないもの。
成人式のころを見計らってさっさと下ろしちゃうのだけど、今年はいささか早い感じ。

それもそのはず、以前なら1月15日小正月、昔で言えば元服の日が成人式だったのに、猫の目のように休みと絡ませて成人式を移動するから今年は最も早い成人式になっていることに由来してますね・・・・どうやら。

今日は成人式なんだね・・・

テレビ報道を見ていて、昨日が成人式と思っていたのだが、どうやら地方地方によって、成人式は異なるようで、街には綺麗なおべべを着た成人ホヤホヤの若者たちの姿が目に入る。

ぼくの成人の頃は、式に対してちょっとけじめの色合いが強くて、式のお知らせが来た時から緊張しまくっていた。

そんな緊張感を携えて臨んだ記憶があったが今の青年たちはどうなのだろうか。
一度聞いてみたいものだ。

ただ・・・当時、つまり40年前の自分は、もうすでに働きながら大学に通っていたし、酒もタバコもぐいぐいやっていて、記憶を失うほど酩酊することもしばしばだったし、いっちょまえの顔をして土方のオヤジたちと渡り合わなければならない土木屋でいたわけで、しいてこれから大人の仲間入りだーー!という開放感や感激はなかった。

ただ、ひとりポツネンと式に参加した緊張感だけがどこかにあって、横浜の総合体育館の会場を出た時の開放感が、唯一、二十歳の印象だったような記憶が残る。

そのあと何をしたのかなぁ・・・・
なぁんにも記憶に残っていない・・・

ただ、式場への緊張感と開放感のみが刻まれているだけで、そういう意味では、けじめとも言えるこういう行事がそのときは分からずとも、のちのちになってじわじわと、五臓六腑にしみてくるのかもしれない。

う~~ん

う~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん

修復でお預かりした観音様で1寸8分なれど・・・・・う~~~~~~~~ん。

久しぶりに鳥肌の立つ観音様にお逢いできた。

人の目にどう映るか知らないが、TON的にはう~~~~~~~~~ん。

なのだ。

切れない糸

「切れない糸ってないの」
とときどき要求されることがある。

しかしこのご要望は、「死なない体にしてください」と同じレベルのことをおっしゃっているのである。

かたちあるものは必ず消えていく。

諸行無常を教えてくれるのが仏教ではないのだろうか。

まして一番身近な法具といえばプロもアマも等しく仏教徒である以上必需品の念珠である。

法具には一つ一つ必ず意味があり、悟りに近づかせてくれるはずなのである。

そこには気づきが必要なのはもちろんだが、佛の教えを学ぶ思慮も必要だろう。

佛から頂く悟りへの法具であるを前提にしてもう一度見直す必要を感じる。

年末になるととくに門徒の方は子供の頃から仏壇の仏具を磨かされてきたのではないだろうか。
金ピカの色になるまで、ピカールかなにかの金属磨きでゴシゴシゴシゴシ・・・
「その汚れは心の垢だよ。ちゃんと磨きなさい」と。

煩悩を金属磨きで落とせるならこんな楽なことはないと思うが、方便なのだ。
法具を大事にする心、ご先祖様に綺麗なご物販で星させて頂く、掃除なんて嫌だと思う気持ちを押して忍耐の心を養わせる・・・etc・・・

でなければ作務という掃除、作業、etc・・・これはれっきとした行となる。つまり悟りへの第一歩となる。

ただし、そこに気づきがなければ、単なる掃除であり、いやな労働であるとしかうつらなくなる。

ひとつひとつのできごとには意味が有る。佛が何かを教えてくれているという前提で見直してみたいと自分も書きながら思い出した。

これも僕なりの気づきなのだろう・・・

念珠の改装ということ

嫁いだ先の宗旨に合わせたり、お寺を替えることで宗旨替えが起きることもあります。

そんな時、新たな宗旨にあった念珠を買い換えるということが発生しますが、愛着のあった今までの念珠を改装するという選択肢もあります。

写真のは、日蓮宗から浄土宗に宗旨替えということで仮組みまでです。

みかん玉の日蓮宗念珠なので定形の浄土宗にすると輪が小さくなりすぎてしまうので、ちょっと・・・ほんのちょっと知恵を使いました。(^O^)

不定形ですが二連できそうです。


一番左の上下二連が浄土宗に改装後の姿。
これから下がりを作ります。