浅草のそら
おはようございます
相変わらず朝ブラはスカイツリー押上ラインです。
高校一年の時に僕の幼馴染で相棒のような横浜の市電が全廃の憂き目にあった。
あるのが当たり前が身近から削られ無くなる空虚さを初めて感じた気がする。
その穴を埋めるかのように学校をサボって都電に会いに来た。
神田神保町から亀戸柳島へ行く24系統。今歩き回っているちょうどそこに当たる。都電の窓から初めて見た雷門もよく覚えている。今、そこに住もうとは、、、実に変な縁だ。
浅草のそら
お世話になった先輩の告別式の手伝いで荒川区町屋の斎場までママチャリで出かけた。
お店をほっぽり出すことはできないので午前中だけ。
自転車で行くと面白い出会いがあちこちでぶつかる。
町屋は都電荒川線の沿線にある。もう虫の息のような短路線しかない都電だが、それなりに楽しい。だって横浜に住んでいた高校時代から重たいカメラバックを担いで電車を追いかけに来ていたのだから。
高校時代にはまだまだ王子電気軌道の匂いがあちこちに色濃く残っていたが残滓を探すのに苦労する。それでも下町情緒のこの界隈は素通りできない。
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
牛島神社界隈
スカイツリーまでの道中は大手資本や自治体の手が入りすっかり変貌した。
東武電車の広大な基地のあったスカイツリーの敷地が今のように開発されようとはだれが想像できただろう。北十間川と隅田川との合流地点の枕橋からスカイツリーまでの電車の高架下はご存知であろうミズマチと名がつけられた商業施設となって枕橋あたりが昭和の頭まで東武の駅だった痕跡すら消えてしまった。
電車や車で通ったりすれば10分も満たない距離なのだけど、てくてく歩いてみると、ホーっと思わせてくれる歴史の痕跡を見せてくれる。
川の反対側(浅草側)に住んでいるとわざわざ牛島神社に詣でることもないのだけれど朝ブラブラの中でお参り方々覗いてみると、震撼とした社域は保たれているのに驚く。
貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。というのだからなかなかの社歴である。
ご祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命
須佐之男命ばかりが目立つ。