
浅草のそら



昨日の続きになるけど、暫く海水浴に行かない間に夏の海水浴人口が激減している事を知らなかった。
夏になると小麦色の肌が当たり前の世代には考えられない事だった。
三浦海岸を例にとればピークが1999年で104万人あったものが2024年には8万人まで減少した。途中コロナの外出制限があったとは言え90%の海水浴客が足を遠のいたことになる。
子供が小さい頃(そのピークの頃か)はイモ洗いの三浦海岸を避けて半島の反対側相模湾側の水戸浜や長井浜に朝一で駆けつけて人の少ない奇麗な海を堪能した。横須賀で仕事をしていた頃の穴場スポットだったこの海も近年だいぶ変わったとは聞いているが東京湾側よりはまだましと捉えていた。
調べて見ると海の家も今年が最後になるのだとか。海の家の組合が解散するとかで海岸管理者と契約する当事者がいなくなるためなのだそうだ。
昭和の海の家はよしづ張りのバラックのような小屋で泳ぎつかれたら、氷いちごか暖かいラーメンを食べて、ごろんと寝っ転がっていた。そんな記憶が夏の思い出なのだが、あの風景はもう過去のものとなってしまうのだろうか。


久々に海に出かけた。
海水浴がこんなに人気落ちとは思わなかった。




あと10日で浅草はリオの賑わいの中に入る。浅草サンバカーニバルだ。
今日は実行委員の長が訪ねてきてくれた。よく知る方だけに苦労がひしひし伝わってくる。
通り一遍の事しか言えないが、体に気をつけて頑張ってくださいね。とだけ伝えた。
今年はブラジル外交樹立130年の年に当たるのだそうだ。そのためか外務省も力を入れているらしい。責任重大やないの。。。48万人来場予定。。。。なんと。


お盆が終わって何処となく時間の流れがゆるくなった気がするのはTONだけ?
八月も中盤を過ぎ、日が僅かずつ短くなってきました。
朝ブラの雰囲気が微妙に変化してきました。
この時期になると小学校の頃までは、そろそろ・・・焦りだしてきた頃でしょうか。
よくもまぁ無計画な行動で一日一日を費やし、プールに通い昼寝してのび太のような毎日を送っていられたものです。
初年(一年生)は31日のどん詰まり、全く宿題をやっていなかった事が親にばれて突貫工事で朝まで(つまり徹夜で)に仕上げた。
姉が算数、TONは絵日記(何にも書くものなかったけど天気は適当)、母親が工作を受け持ち、必死に完成した。母は家に転がっていた糸車を使っての力作を作り上げた(作者は小学1年って頭にあったかなぁ)。お母ちゃん力入れすぎ。。。皮肉にもその作品がクラスで人気を博し、自分の力でもないのに先生方の覚えめでたく賞を取った。悦にいったボク(何にも考えていなかったんだね)。そんなことを覚えている。なんて奴だ。TONって奴は。顔を見て見たいわい。
さ、今日もがんばろかな。

この風景も今日まで。



目の錯覚なのか、いやいや確かなことでしょう。
ダイヤモンドクロスになるとスカイツリーのてっぺんに縦縞が現れる。。。
