故郷といいたいのだけれど・・・

用事があって横浜まで出かけた。

便利なもので、浅草から苦もなく一時間もあれば、みなとみらい駅まで寝ていても着ける(いやいや・・・乗り換えは一回だけあったけど・・・)。

パシフィコ横浜の突先から海を臨むと、ようやく「らしさ」を感じることができる。
このあたりの風景ですら激変の場所。TONちゃん幼少の頃、海運事業をやっていた知り合いのおじさんにポンポン船で湾内を航行してもらった辺りで、岸は遠いし波は高いし、小さなポンポン船は木の葉のように揺れてすこぶる怖かった記憶がある。

紅白の灯台は目の前に見えるし、湾が実に小さくなった感触がある。

みなとみらい駅までは、電車が何処をどう走ってきたのか、駅で降りて、どう歩いたかもさっぱり検討がつかない不思議な町に来た感はどうしても否めない。

僕の横浜感は、伊勢崎町や本牧や本町や野毛に集約される。
せいぜい広くて二車線の通り。手を伸ばせば届きそうな軒の連続。

3車線も4車線もある大通りなんて、日本大通りくらいなもので、それでも目線はうんと低かった。そんな人間の背丈の町並みが故郷の横浜なのだ。


こんな風景、僕には外国でしかない。

矢先稲荷

近くにあっても意外に行けないところは、どういうものか縁がない。

こちらもその一つ。
池波正太郎の剣客商売の秋山大二郎の道場がある神社裏がここ矢先神社。
どこだったかなあといつも頭の中にはありながらついぞそのために出かけはしなかった。

区役所の帰り道、偶然にも出逢った。

残念ながら、空襲で被害のあった下町にありがちに、コンクリート造りの社殿で見るべくものはないのだが、脈々と祈りが伝えられてきたことは、胸に響くものがある。頭を自然と下げさせられる。

浅草にも三十三間堂があったしそこで通し矢が行なわれていたことを知る人は以外に少ない。

いつもながら、もっとメジャーにならないものかとついぞ思う。

いつまでも・・・

WEBの友人(お客様?)が二人今年初めて店に来てくれた。
ここんところ体調が悪くて午前中は転がっていたので、すれ違いで逢えず、午後の帰り際によっていただいたおかげで寒中見舞いをいただくことができた。

それでは前日、東京マラソンのおニューのパンフレットを東京マラソン財団の人が持ってきてくれたので、お土産のお返しに(たいしたものじゃなくてすんませんでした)。

東京マラソンの話しが契機でランの話になった。
友人は一人は100キロマラソンに出場するような猛者、もう一人も持病を持ちながらもハーフを飄々と走る人。TONにとっては貴重なアドバイザーなのだ。

この真冬まだ短パンで走っているのかと尋ねられた。

そう。
長いパンツが見当たらなくて、短パンというより膝までので走っていますよ。と答えるとアキレス腱、気をつけてよと忠告。

話のついでに、ベスト式のウインドブレーカーで走ってるから腕が寒いのなんの。
おまけに手袋も走っている途中ではずしてしまうから、両手の感覚はなくなっちゃうと言うと、これまた大きい目をさらに大きくして、故障するよ。あったかくして走らなければダメとさらにダメだしの忠告を受けてしまった。

もう故障しているんだけど・・・

そうか・・・
真冬、袴に素足で練習していた時代なんて、もう・・・40年も昔のことだった。
アイスバーンの山道を自転車での峠越えなんてのも30年も前の話。

ガチガチに固まった体が冬の醍醐味なんて思っているのがそれこそ時代錯誤だったのかもと反省に及んだ。

体の調子がよければ受け取り方も多少違っていたのかもしれないけれど、えらく沁みたタイムリーなアドバイスだったのでありました。