浅草のそら

お盆が終わって何処となく時間の流れがゆるくなった気がするのはTONだけ?

八月も中盤を過ぎ、日が僅かずつ短くなってきました。
朝ブラの雰囲気が微妙に変化してきました。

この時期になると小学校の頃までは、そろそろ・・・焦りだしてきた頃でしょうか。
よくもまぁ無計画な行動で一日一日を費やし、プールに通い昼寝してのび太のような毎日を送っていられたものです。
初年(一年生)は31日のどん詰まり、全く宿題をやっていなかった事が親にばれて突貫工事で朝まで(つまり徹夜で)に仕上げた。

姉が算数、TONは絵日記(何にも書くものなかったけど天気は適当)、母親が工作を受け持ち、必死に完成した。母は家に転がっていた糸車を使っての力作を作り上げた(作者は小学1年って頭にあったかなぁ)。お母ちゃん力入れすぎ。。。皮肉にもその作品がクラスで人気を博し、自分の力でもないのに先生方の覚えめでたく賞を取った。悦にいったボク(何にも考えていなかったんだね)。そんなことを覚えている。なんて奴だ。TONって奴は。顔を見て見たいわい。

さ、今日もがんばろかな。

浅草のそら

「海の日」です。世の中はお休みです。
「海の日」があるなら「山の日」もと言われて久しいですが、海の日は明治の御代に移行した時のひずみに犠牲となって生じた怨みを解くために心砕かれた明治天皇の大御心に基づいた記念日なのでありますが、どれほどその真意が今に伝わっているのか少しばかり不安になります。
TONの母方の実家は仙台藩の南の関を守っていたと伝えられています。
曾祖母がいつも口にしていたのは、山を越えて進軍してきた官軍の首をいくつも切って門前に掲げたと。誇らしげに語っていたそうな。曾祖母を嫌う母の口からはそんなことしていたから私が病気ばかりしてきたのよ。だった。とまぁ家庭内の事情は置いておいて、戊辰戦争の終結にはどれほどの血が流され続けていたのだろうこと、想像すると背筋が凍る思いになります。そんな怨み多き東北の地を御巡幸されたのが明治天皇であったこと。そしてその地を巡られ船にて横浜の港へ御帰還をされたのがこの日であったと言う事なのだ。

浅草のそら

以前は朝一番から陽を浴びていた雷門。今は高い建物に阻まれて陰になる。時間を少し置けば雷門にも日が当たり今日の始まりを感じますね。
観光センターの建替えの時の反対理由が思い出されます。観音様の入口が陰になる。が理由だったけど、夏場でこの様子だから、太陽の低い冬場はどうなるかは想像に難くない。

都鳥と思っていたけど猫のような鳴き声からするとウミネコ?ん~~~~どうなんだろう。とにかく活発。

強い日差しが気持ち良いくらいの朝、スカイツリーあたりを一巡して戻ってくる時ふとふりかると向こうの島あたりや亀戸方面の低地に水を張ったらとか勝手に想像連鎖してしまう。
もう少し上流に行けば昔の船着き場跡になる。頼朝の時代はどうだったのだろう。まして1400年前の浅草浦の時代は・・・と当時の光景が展開されるTONなのであった。。。