浅草のそら
一雨来そうだ。
共にに歳を重ねるということ
昨日の浅草はサンバカーニバルで狂乱していた。
地元にいていいですねとよく言われる。
が、地元なるがゆえに実のところは数える程しか見てはいないのだ。
ましてやかぶりつきで見るなどということは・・・
リオを思わせる大音響のラテンのリズムが延々と響く外界をよそに、念珠堂はゴーイングマイウェイだった。
カーニバル真っ最中にもかかわらず、人ごみを避けていらっしゃるお客様も多い。こんな日に来るんじゃなかったと飛び込んでこられる方も多い。ひたすら涼を求めに来るお客様もまた多かった。
そんな中、30年以上前にお得意様になって頂いたSさんが訪ねてくれた。最近の彼の行動パターンは、手荷物を持っていたくないので預けに来る。そうして身軽になって最後まで観戦するのだ。彼とは同い年のよしみからか、同じ自転車の趣味をもつ共通点からか、なにかと気が合う。お客様なのだが、友人の一人ともなっている。
パレードがひけた5時半になると定刻通り店に現れた。
何を買うわけではないのだが、あれこれ情報交換の場となる。
水森亜土の友人とかでこんなの手に入れたからと惜しそうにも映る目をしながら亜土コレクションの手帳を頂いた。
20歳の頃TONは横浜の自転車屋に入り浸っていた。彼は学生ながら趣味と実益をかねアルバイトとしてニワカ店員をやっていた。実は後で思い出したのだが僕はそれを覚えていた。
その店には北海道出のノホホンとした正社員が主の片腕として働いていた。
お客様の扱いに手が回らなくなってお客さんの中から店員募集をかけたのだろう。
ある日、どちらが正社員?と思わせる横柄な口を利く若いのが店に立っていた。
だれ?あの人。その若造は誰かと店主に尋ねたことがあった。
その店の主はアルバイトの店員だからと紹介してくれた。
じつはそれが彼だったのだ。
そのうち、TONは会社を辞め食いつなぎの仕事で一番嫌いな人と会って買って頂かなければ、命の糧を得られない訪問セールスの仕事についた。
胸をドキドキさせながら昭和建築の代表的なような家に飛び込んだ。
庭には大きなガチョウがガーコガーコと閑静な住宅街を引き裂く大声を出しながら出迎えてくれた。
何しろ人と話がしたくなくてもともと技術屋になった自分がこんなことをしようというのだから・・・自信もなにもあったものではない。しかし、ガチョウの声に心を奪われて躊躇する暇もなくチャイムを押してしまった。
家の主は、こともなげに戸を開けて下さった。
玄関先に置いてあった高級自転車のチネリに目が釘づけになった。
同じ趣味。同族意識というのは強い。止めもなく言葉が出てすっかり打ち解ける中で成約に至った。
その後に浅草に仏壇屋の店を開くことになる。
彼も祝福をしてくれた。
35年前の話。
どうりでお互い白いのが目立つわけだ。。。
浅草のそら
浅草のそら
トルマリン
浅草のそら
オーダー