開眼供養

久々に、お客様の代わりに仏像の開眼をしてもらいに
浅草寺に足を伸ばした。

門前にありながら、境内の掃除会に顔を出さなくなったら
とんと足が遠のいていた。

朝の勤行、特に冬場は、声明から始まり、般若心経が終るまで
なかなかの夢心地。きもちのよい時間なのだが、
せわしくしているせいか、本堂に入るのは、随分とご無沙汰のような気がする。

堂内は、いつもに増して、外人客で混んでいる。

昼間の時間帯は、さらに久しぶり。

本堂の受付で開眼をお願いし

内陣に入る。
三拝し、すごすごと末席に…といっても畳ゆえ、末畳につく。
本来、僕は開眼のご依頼は、おおかたお断りしている。

仏縁の立会いに、第三者がしゃしゃり出ることはしない。
今回は、ご依頼いただいたお客様が、病気で、身動きが取れないことを聞き
ならばと、お引き受けさせていただいた、例外なのだ。

例外だけれど、いい経験をさせていただいたと感謝している。

よく見ると、導師をしてくださっているお坊さんは
息子の保育園の同級生のおじいちゃん。
お寺のNO2なのだとか。

このことも報告してあげなくちゃとばかりに
パチリ。

式のあとで、「内陣は撮っちゃダメ」と注意されたが

これも病気で来れないお客様に
「こんなだったですよ」と、お見せしたいがための
行為なのだから、観音様も許してくれるだろう。

頑張る

作った作った。

お盆の喧騒さの中に、制作意欲もかき消されていたが、
おとといから夜なべしながらも
お直しも含めて90本くらい仕上げることができた。

いつも
直しをするときは、持ち主の心を感じながら直す。
面白いもので、修理品を見ていると、
持ち主のイメージが、ふぉわっと浮かんでくる。

80年前の念珠というのを直したことがあったが

それはそれは、美しかった。
黒曜石をろくろで1粒1粒、手で磨いたのだろう。
玉の一個一個が個性を持ちながらも、念珠全体が
よく調和していた。

昔の念珠師の心に触れた気がした。

創作念珠を仕上げるときは、夢を見ながら手を動かしている。

たいへんだあ

どうしよう。

白檀が高い。

高騰し続けている。

3ヶ月前にとった見積もりが、
なんと、2倍強になっていた。

建設業に携わっていた頃、
オイルショックのあおりを受けて
材料費の高騰が続いた、発注した工事が完了する頃には
利益がなくなるどころか、大赤字。
ということがあったけれど

今回の白檀騒ぎは、それ以上の高騰ぶりだ。

お香類は、去年から原価の値上げが始まったが
この秋にはまたあがりそう…

仏像用はもうとっくに上がって、というより入手できない。
ちょっと大きい仏像を作る材料が
今年になってからは、全く手に入らない。

念珠材料もついに秋には原価訂正に追い込まれた。

CMではないが、さあどうする。

やっと一安心・・・まだまだ?

数ヶ月要した尊像をようやく無事納めることができた。

「絶対の信頼を置いてるからね」
殺し文句であると同時に、
緊張の糸が千切れんばかりに、限界までピンと張る。

夢にまで現れて声援?してくれるのだから
これは、大変なものである。

ある会社の守りになると聴けば、なおさらである。

しかしながら、気持ちのよい緊張でもあった。

まだ、宿題は残っている。
でも一山越えた。

沈黙の中にも、心を伝える

仕事柄、人の念珠は、いやと言うほど拝見させてもらう。

製作に関わる者である以上、
当たり前と言えば、当たり前の話なのだが…

まだ購入されてから、何ヶ月もしていないのに、
酷使されて還ってくるものもある。

そうかと思うと、
10年、20年と過ぎて貫禄を増して、戻ってくるものもいる。

そうした、自分の手から出て行ったものには、ひとしおの感がある。

お嫁に出て行った娘が
「お久しゅうございます」と里帰りしてくれるようなものだ。

還ってくる姿を見て、さまざま思うが、
親としては、労をねぎらい、疲れを癒し、また、戻らせるのが
当然の処方だろう。

「うちの娘を大事にしてね」
心の中で祈りながらまた、手から離す。

最近、手にした念珠に感動した。
物は語らない。けれど、心は伝えてくれる。

これは、お直し中の写真だ。

星月菩提樹に赤珊瑚仕立てのミニ念珠。
80年以上たっている年期ものだが、作りがめちゃくちゃいい。

手のひらにすっぽり隠れてしまうほど、きゃしゃなつくりであるのに
しっかりとした重量感がある。

年代ものということすら感じさせない。

珊瑚ボサ一つ見ても、バランスが良く、センスのよさが光る。
穴周りの処理もすばらしくいい。

星月菩提樹も真っ黒になり、かろうじて年代を感じるが、
丸め、穴繰り、磨きがすこぶるいい。

このクラスの玉にしては、比較的、太目の中糸を通したが、
何のひっかかりもなく、するする通る。

「へーーー!」感嘆符を、3つも4つもつけたくなる驚きであった。
「いい仕事してますなあ」とは、どこかで聞いた言葉であるが
口をついて出てしまう。

職人にも信仰心からくる、こだわりの心があった時代のもの。

ものづくりとしては、
自分もそうでありたいと感じる逸品だった。
「沈黙の中にも、心を伝える」ものを創りたいものだ。

山梨まで出かけなくても

久しぶりに日本橋に出る。
浅草からは、目と鼻より近くに位置しながら
文化の違いをありあり感じる。
世界の銀座だけのことはある。

そんな一角に山梨県会館があり、

山梨の職人さんたちが集まると言うので、
梅雨の合間の真夏日、涼しいお店をあとにして、のこのこと出かけていった。

以前は、鉄道会館(大丸)の中の都道府県会館の一つが、
独立したのだろうと思った。
この日本橋の一等地に山梨県を紹介するためだけの会館を運営する。
すごいね。公共団体は。

パンフレットも数多く置いてあるので、立ち読み好きの中年は
なかなか帰るに帰れない状態になってしまった。
山梨の産業はすべて網羅されているようで、
ワインテイストもできるコーナーもあったり
なかなか、居心地のよい空間である。

富士登山の手引き書まであった。
また「登りたい虫」が出てくる時の為に、
資料をもらっておくことにした。


あんこ好きのbooが目を留めた竹炭どらやき
山梨とは、まったく関係なし!


炭ーー!

リアル散華、よき驚き

なんてきれいなんだろう!

花の名前は、本当に覚えられない。
こまったものだ。
さっぱりだ。

昔、高山植物が好きで、山に入ったときも、
図鑑は手放せなかった。
けれど、「きれい」で良いような気になってしまったら
それ以降、全然、まったく、どうしようもなく、
記憶に残らなくなってしまった。

なんでこんなにスゴイ配色が生まれるのだろう。
神様の絵の具箱は、スゴイの一言だ。
念珠のデザインを考えるとき
色の組み合わせを
自然界に、そのモチーフとなるものが、ないかとよく探す。

緑の芽が日を浴びて花を咲かせると
想像もできないピンクであったり
紫であったり、黄色であったり、
それが枯れて茶色に変わり土に還る。
この配色の大胆さや形状の自由さに驚く。

自然界は、良き師としか言いようがない。

なかなか売れないけれど
散華(さんげ)がある。
それもリアル散華。
お寺の法要のときに使う。
法要の途中で式衆のお坊さん方がまかれる
檀家のかたたちはありがたい物として、拾って持ち帰る。

蓮の花びらをかたどったもの
菩提樹の葉をかたどったもの
リラの花びらをかたどったもの

「使ってくれないかなあ」いつも、手元に忍ばせてはいるが
なかなか気付いていただけない。

変哲のないボール紙を切っただけの散華も良いけれど
「わーきれい」と檀家さん、何より、その子供たちが、
「あっ」と域をのむような「心打つ驚き」を
幼い心にインプットしてもらいたい。

ありがたいから持ち帰るのもよいけれど
きれいだから花を摘む
散華も摘んでいって欲しい
そんな演出をされてみても良いのにな…

なーんて勝手なこと、考えてしまう。

黒ひすい。ゲット

またbooちゃん博物館にニューフェイス。

長くお付き合いしてくれている玉屋さんと
話しをしている間に、珍しい黒翡翠を見せられた。
玉の状態もなかなかいい。
共石で、腕輪も用意されている。

いい!と思うと待ったなしになってしまうからね。

boo突猛進なのである。
(猪)

けれど照りがいい。
緑やラベンダーの翡翠もいいけれど
黒は、奥行きを感じておもしろい表情を見せてくれる。
さあ、どんな仕立てにしようかなあ。

小さい玉だけど翡翠の表情はよく出ています。