三の酉

今日は三の酉。

以前は、人がきれなくてずいぶん遅くまで営業していた。

熊手を持つ人も以前とは比べ物にならない。
持っている人を探すのに苦労する。

肩に担がなければ持てない大きさの熊手は皆無。
ずいぶん様相が変わったな・・・・

それでも、人は街に溢れているのだから、浅草にくり出す人の目的が変わってきたと見るべきなのかもしれない。

久しぶりにTさんが訪ねてくれた。
仕事を替えて少しばかり余裕をもてるようになったのか、お顔が少し丸くなっていた。

それでも、朝の4時から夜の11時までみっちり仕事をしているというから、基本的に無理は変わらず。スリムな体も相変わらず。ぼくの心配も消えない。

四国を回った頃の話に盛り上がった。

もうあんな強行軍できないね。とか、ブログのない時代ブログの走りのような日記形式のレポートをさせてもらってよかっただのという話しから、流通を手がけている彼の口から、福島の話へと移っっていった。

福島産の農産物はまったく取り扱わないという話しだった。
流通の最前線の人の口から聞かされると正直怖いしやるせない。
なんと言ってよいのか解らなくなる。

国やマスコミレベルの話は半分(十分の一かな)と聞き流せるけれど、末端の消費者相手の現場では、そんな悠長なことでは済まされない。

現実売れないから仕入れられない。

福島の農業は・・・
これからいったいどうなるのだろう・・・・

パフォーマンス

浅草に木の精が出没している。

楽しいパフォーマンスだと思う。

ジャグリングの第一人者である彼が、ササクサスで選んだのはジャグリングの動のパフォーマンスとは異なる静のパフォーマンス。

延べ一週間程度のお付き合いだけれど、言葉を必要とせず、心の扉を開かせる「技」と言うものにとても深く興味を持たされた。

彼のおかげだ。


技をこっちに置いても好青年だった。

望月ゆうさくさん

ササクサス最後の日


(雨の中の電車ごっこ)
浅草、雷門1、2丁目付近を根城に活動してきたササクサスも今日で打ち上げ。

東京藝大、台東区、墨田区のタイアップ、要するに芸術祭なのだが、二年目となったせいなのか慣れもあるだろうか、なんとなく去年の意気込みがしぼんだ感が僕には感じられた。

震災もあっての影響なのだろうか。
芸術は爆発だと著名な芸術家の言葉だったが、僕もそう思う。

溜めた内なるエネルギーの放出。

溜めて、溜めて、ためて、さらに溜めたる内なるエネルギーをビックバンの如く一気に爆発させる。

その一瞬の煌めきの中に人を感動させる。また、人を動かす原動力を発揮する。

だから芸術をTONは愛す。

学生時代しかできないことは大いに学生時代にやりなさい。通りもどんどん使ってパフォーマンスしたらいいよ。と出会う学生たちには勧めていたが、遠慮がちにしか行動は見られなかった。

せっかく両区がスポンサーとしてお金を出してくれるのだし、生産活動に直結しない芸術活動は、今しかできないんだから・・・商人としての僕の気持ちはこっちに置いておいて正直思うところなのだ。

だから僕の気持ちとしては、今年のササクサスは残念な気持ちにあるのだ。

正倉院展土産

正倉院展のお土産で買ってきたお線香。

香りは甘く京都好みの香り。
パッケージからしてここでしか買えないだろうと買ったTONでした。

蓋を開けて「日本香堂謹製」の文字。

小売価格で買っちゃった・・・

代理店なのに・・・・

いよいよ

「あたしが死んだらこれがいいわ。頼むわね」

大正生まれのちゃきちゃき江戸っ子姉さん。

○○さんとは呼ばないで、いつも「お姉さん」と呼んでいた。

ご両親を思春期の頃に亡くしながらも幼い兄弟のために懸命に生きられた。

歳を重ね体の自由が利かぬようになってからも、毎月の浅草寺へのお参りは欠かさなかった。

そのたびに、うさぎやのドラ焼を手土産に持ってきてくれた。

あるとき「お姉さんの若いときの写真が見たいな」と言ったことがある。

次の月、おずおずと恥ずかしそうに二枚の写真を手渡された。

そこには丸髷のかわいい少女が写っていた。
兄弟をかかえて生活していた少女は大人びて見えた。

目の前でお話ししてくれているお姉さんは同じ人なのだ。

生命の・・・いや、
人生の、不思議さが不意に脳裏を駆けた。
若い人から見れば一方の大人であっても、心はなんら変わることはないのだ。
自分は老人とまではいかないが、死ぬ時まで気持ちは変わるわけではないんじゃないのだろうか・・・

時という不変の法則下にある肉体の変化はどうにも手がつけられずとも、心の風景は故郷にいる親元にいつもある幼少の自分なのだ。

「彼岸に行ったら、お母さんに弟のことを守ってきたよと報告できるようにしたいの」
その思いは遂げられただろう。きっと。

その人のお位牌をお作りする時がいよいよきた。

載せていただきました

昨日は夜11時に大船渡から帰郷しました。

目的は、猫島に商店会が里親になっている大猫御縁門を届けるためと大船渡小学校への表敬訪問でした。

媒体を通しての情報では、数パーセントしか伝わらないものだとつくづく感じさせられた今回の旅でした。

大猫御縁門も高速道路上に落っこちることもなく無事海を渡り、猫たちの待つ終の棲家ににたどり着くことができました。

ただ、行きはよい良い帰りは・・・で、猫島上陸作戦は、快晴に恵まれた往路であっただけに、帰りのオール雨の東北道はちょっとばかり疲れての到着となりました。

帰ると新聞が机の上に置かれていて、取材がボツにならなかったことを知りました。

白粉花

どこから見ても白粉花。

子供の頃は、この種を潰して中身の白いパウダーを顔に塗ったりしたものだけど。

子供の頃はどっこにでも、道端や草むらに群をなしていた白粉花。
こんな花、あったりまえだのクラッカーだったのに・・・

今、都会に咲くと、大事にされる。

不思議だなあ・・・

これがお金だったら違ってくるのかな

今朝の収穫。

100mの区間に24個。

何でしょう?
価値あるものなら、毎日ルンルンなんだけど・・・

これ。

ほぼ2日おきに道路とにらめっこしながら剥がしてます。

参道に敷石を敷いて観光のお客様が景観を楽しめるようにと思っていても、足元に点々と黒点があったり踏んずけてしまったりすると、急激に楽しさも醒めてしまうもの。

これは立派な罪でしょう。

これも、

これも、

これも、

ご丁寧に紙に包んでポイだもの。

紙に包んだならあと一歩先に歩いていって、ゴミ箱に捨てようよ。
踏んだ後のあの気持ち悪さ。引きずるんですよーーー

ガム会社さん、チューイングガム協会さんポーズではなくて真剣に取り組みませんか・・・・

ポイ捨て禁止運動。
犬のウンチを放置しなくなったんだから、できるでしょう。

都市景観美化と治安維持
ポイ捨てガムや落書きはまちの美観を損ねる問題であり、かつ、治安にも悪影響を与えます。
ニューヨークの地下鉄で、ジュリアーニ前市長が落書きを一掃する事によって治安の回復を実現した話は有名です。
ブロークン・ウィンドウ理論(軽犯罪をほおっておくと無管理地区との認識で凶悪犯罪に繋がる)に従ってジュリアーニ前市長の指導力のもと実施されました。

正倉院展

明日は、正倉院展で奈良に行きます。

一般公開前のプレ公開ですので、ゆっくり見れそうで・・・楽しみ。

請来型の念珠も確認できるかな。

ずっと以前に調査チームの人と一緒に正倉院に同行できる予定だったのが不発に終ってしまい、ようやく叶います。

仕事柄、蘭奢待の現物をじっくり見たいのでありますが、
香りを聞くなど夢のまた夢でありましょう・・・

丸一日商店会行事

前日の午後・・・

いつもながら準備不足で、寄せ書きを思い立ったのも4~5日前。
図柄を決めたのは1日前の朝。

書き出したのは昼過ぎ。

構図を考えながら、猫島にちなんで猫の足跡で足型を作って表現しようと考えました。

消しゴムの猫の足型。

何匹の猫が押してくれた勘定になるのだろう・・・

あとは募金の日の当日を待つばかりです。

明けて10月23日。日曜日。

いよいよ被災地支援の第四弾企画が始まりました。

一番の気がかりは、空。

気にしていた天気予報は雨のち曇を表していたので、はらはらどきどきでした。

ここ数日間は雨がついて回っていただけに、順延も視野に入れざるを得ない状態で、予算を使わないためにもテントを借りる経費すら我慢しましたので、気が気でなかったのでありました。

5時を過ぎると目が覚めて、今日使う注意書きなどをパソコンで印刷したり活動開始。
あっという間に時間は過ぎ、薄明るくなっていきました。

と・・・・言うことは・・・・・・

空が何とかもっている・・・・
慌てて窓を開け空を見上げました。

遠くの空は青空も望めるけど曇り空。けど、重い雲ではない。

やった!

雨男の会長は負けました。負けてよかった!

さあ。
はじまりはじまり。

会員の手作りポップは場を和ませてくれました。

会員が朝10時から夕の4時まで一時間毎に時間を区切り、ローテーションを組んで奉仕してもらいました。

中には家業が忙しく出れない会員さんは、ヤングパワーを投入してくれました。

始めは、もぞもぞしていたヤングもいつの間にやら、「お願いしますーー」大きな声を張り上げて、その声に行き過ぎた人がわざわざユーターンして募金していかれる姿も印象的でした。

う~ん。

ヤングパワーもさらにヤングになると、自分で書いちゃうのね。

マイクでの誘導は、丸一日行ないました。
企画部長とTONと東京藝大のY君と三人で声を枯らして喋り続けました。

応援に駆けつけてくれた梅后流江戸芸かっぽれの皆さん。

ありがとうございました。

立川らく里師匠も先回同様(第三弾)高座のないやりにくい道路上でお噺しをしてもらいました。
道行く人のまん前で、さぞかしやりにくかったろうなあ・・・

お陰様で、291名の皆様からこんなに真心こもった寄せ書きを頂戴することができました。

大船渡にもって行けるだけの義援金は残念ながら集まりませんでしたが、御縁門の運搬費に使わせていただく費用の一部は、確保できました。

活動中、「御縁門の運搬費に使ってください」と手渡してくださった皆様、泣くほど嬉しかった。

中には、かわいい封筒に「25555円」と書かれた封筒とお菓子の差し入れまでしてくださった篤志の方。
直接お礼をいえませんでしたが、御縁門にかわりましてお礼を申し上げたく思います。
(25555ってニャンコゴーゴーゴーなのかななんて思ったりしています)

本当に多くの浄財を御縁門の北帰行に使わせていただきます。

終了して、ホッとしたみんなの顔がいいですね。