お客様

ちょっとかわった方々が来店された。

店の子が他のお客様と応対している最中、横から何やら尋ねてこられたお客様が、こちらに振り向けられたのだった。
僕とて念珠の改装を頼まれて数分で終らせるために奮闘努力の最中だったのだが・・・

その方は、雷門が何故造られたのですか?
と聞いてきたのだ。
何故にもいろいろな意味が含まれる。
イントネーションを聞くと、どうやら海外の人のよう。

韓国かなぁ・・・

しきりに印刷物に目を落しながら質問する。
覗き込んでみると、質問事項がびっしり書いてある。

いくつか回答すると、
「みんなこっちにおいで」と手招きする。
がやがやと何処にいたのかと思うほど、そう、中学生くらいから大学生くらいまでの海外、アジア系の若者たちが僕の周りを取り囲んだ。

夜道にこんなことになったら一目散だろうが、此処は明るい店内。
僕の言葉を熱心にメモする者も。

「何の集まりですか?」指導教官っぽい女性に尋ねた。
「外国語学習です」と答える。

浅草橋にある外国語学校の生徒たちが、実地勉強として浅草に来たのだという。

なるほど。

海外に来て勉強するほどの彼ら彼女らだ。目がキラキラしている。
「吸収するゾ」と暗黙の内にも伝心される。

細かいことまでお話ししてみたけど、伝わったかな・・・

またね。
またおいで。

おひさしぶり

いあや~~
お久しぶりだねぇ・・・

心配していたよ。

話題にもならないし・・・

もう引退しちゃったかと思ったよ・・・

お役

「この絵はどなたが描かれたのですか?」

店の奥で今日出荷予定にしていた念珠の最終仕上げをしていた背後からふと声をかけられた。

難波画伯の観音菩薩の絵をさして質問されたのだ。
この絵はずっと昔に、画伯が存命のころ気に入っていただいたものだった。

ご本人はクリスチャンであり抽象油彩画家ながら、死線を越え仏教に傾注していく中で一宗一派を引けるほどの器を持つ方だったが、惜しくも60の坂に入られて間もなく、惜しくも逝かれてしまった。画伯の絵に共感をもたれたお客様は多いが、今日は一味違った。

お尋ねいただいた方はある日突然観音様がご自分に顕れたと言う。

その観音様を絵になさっているという。
ちょうどお手持ちの絵があったので拝見させていただいた。

なんとかわいいのだろうか・・・

儀軌や仏教画を学んだわけでもない。
お会いした観音様を得になさっているのだという。

最近は、そこに聞こえる旋律を楽譜にあらわし、CDに吹き込んだと貴重な一枚を頂戴した。

こういうことを不思議なこともあるものだと人はいうのかもしれない。
でも僕は当たり前なことのように自然なこととしていつもながら受け止める。

さもありなん。

その方に何かのお役があるんだろう。

科学で説明できないことなんていくらでもある。
むしろ科学がまだ幼稚なだけだと思ってるから。

茶化しちゃいけない。

もうずっと以前、讃祷歌(さんとうか)を世に出した真言宗の僧侶、新堀智朝師に親しくしていただいたことがあった。

師は音符を読み書きすることはできなかった(否、この表現は正しくなかった。始めのうちはであった)。
ある日、子供が使うような大きな五線譜に耳の奥で響く旋律をやっとの思いで書き留めてみた。

わずか数小節の譜面が完成した。

人伝えに音大出のプロの作曲家を紹介してもらい、恐る恐るその譜面を見てもらう機会を得た。
プロの音楽家に見てもらうにはあまりにも幼稚すぎる譜面。

案の定けんもほろろに鼻であしらわれた。

作曲家はせっかく尋ねてきたのだからと、音符を目で追ってみた。
次の瞬間、眼の色が変わった。

生前、住職が僕にもらした。独り言のように。

「くやしいのよ。もっと早くに気がついていれば」ちなみに住職は尼僧である。
「讃祷歌を十年早く世に出したかった。そして現代に問いたかった」
と。仏教歌の枠を超えた讃祷歌はローマ法王の国連の会議室にまで招聘された。

若い頃から耳の底では、こぼれるように旋律は吹き出していたという。
けれど、多くの曲を鼻歌で終らせてしまった。

定期公演を最期に惜しまれながら彼岸の人となってしまった。

だれも天賦の才がある。

それが何かは、またいつ発芽するかも解らない。
素直にその内なる声を受け止めてみてはどうなのだろうかと思う。

自分のことが一番わからない・・・

商店会として

浅草警察署とのキャンペーン。

商店会として何度か行っているキャンペーンですが、
ティッシュ配りもなれました。


こういう時代です

この店を始めて四半世紀。
参拝や観光でこられる人も本当に変化した。

僕が対応し一番初めに来店された外人さんは、ポーランドの雲水さん。

東西冷戦時代の東側に立つ国から禅を求めて命がけで渡航してこられた青年だった。
言葉もわからないのにすっかり意気投合して、あれこれお世話させていただいた。
感動的な出逢いだった。

バブルが去ったあたりでは、欧米か香港辺りからの渡航客が多かった。

今はと言うと、浅草の町ではすこぶる多くの言語が飛び交っている。

欧米や韓国、台湾はもとより中国と言っても広東語もあれば北京語もありタイ、ベトナムの言葉も。ほんに

そんな中だから、多言語に対応するのは、もうボディーランゲージに頼るほかはない。

中国語での商品説明。
読んでみて下さいませ・・・

なかとも君

友人の作によります。

「小僧さん」で通っていた小僧さん。
小僧さんじゃ寂しいよね。

というわけで、大川から掬い上げた観音様を初めて自宅に祀った土師中知にちなんで、「なかともくん」と名づけてくれました。

とにかく、ご来店のお客様に限らず、通りすがりの皆様にも頗るかわいがっていただけるので、頭、お鼻、お肩、足、お腹、腰、おめめ・・・とぴっかぴかになってしまったのです。

よく見ると、目が開いてきたみたい・・・

経典のイメージチェンジ

普段使いのお経典でも、紙のぺらぺらの表紙からドンスがけにすると随分イメージが変わるものだ。

お釈迦様が生涯をかけて顕してくれた人生の指針である大切なお経典なのだから、これくらい大事に使いたいものだと思う。

お経典について思うこと。
日頃感じることがいろいろある。
が、僕も含めてお経典をなおざりになりすぎていないかちょっと気になる。

般若心経一つとっても、お店では210円で手に入る。
お金があれば簡単に交換することができる。

もちろん210円を手にするには、汗水流してようやく手にする人もいるだろうが。

しかしその般若心経には、人生を大きく左右するほどの貴重な命の光、指針が散りばめられている宝石のような宝箱なのである。

心眼の働かぬ者、人生に飢え渇いていない者には、単なる二百四十余文字の文字の羅列にしか思えないかもしれない。
けれど、限界線を綱渡りしている者には、まさしく強い味方となるのだ。

二十歳代に悩み苦しんだ時期に、心経の文言に救われた。
色素癖空空即是色に救われた。
TONちゃんとてそんな時代があった。

そう思うと、お経の取り扱われ方が僕には気なって仕方がない。

お釈迦様が一国の王子という栄耀栄華をかなぐり捨てて、生老病死苦の根本に命がけで挑まれ掴み取られたお経の一言一句。

それをどう扱うかは、受け取る側、バトンタッチした側の姿勢そのものだと思えてならない。
骨と皮になるほどの荒行の末にお経を読んでみなさいとは言わないが、それ相応の心の姿勢、構えが受け取る側に必要なことは、当然のことなのだと思う。

さあて、取り越し苦労もそこそこにして仕事に戻らなくちゃ。

久しぶり

2009年2月3日の日記にこんなことを書いた。
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/c/10719226.html

珊瑚にまつわるお客様との不思議な出来事(僕的には当然なのだが・・・)を書いたのだ。

そのSさんが突然現れた。
お化けではないのだから現れたと言う表現は不適切かも知れないが、本当に驚いたと言うことに関しては、引けをとらなかった。
何故って・・・

前の日記の主人公、話題の主になる、彼の赤ちゃんを抱いての登場だったからだ。
彼はそういう意味ではいつも脅かして・・・驚かしてくれる。

180cmを超える長身に鳶の仕事で培ったがっしりした身体に、ねんねこを首からかけてカンガルー父さんになっていた。
童顔がさらに笑みでほころんで挨拶をくれた。

しっかりものの奥さんは、すっかりスリムに戻っていた。
以前とは感じが違うなあと思うそのギャップは、やはりおかあさんとしての貫禄から来るものなのだろう。

母親は父親より、親としては1年先輩なのだから、二人並んでいると、童顔と言うことをこっちにおいていても、女性に分がある。

「一ヶ月たったんで、やっとお礼に来れました」
開口一番のSさんの言葉だった。

今どきの若者同士に一見するが、子供にかける思いは、人一倍強かった。
店長に見せたかったという言葉に、思わず涙腺がゆるんだが、彼には悟られなかったろうな・・・

TONの上さんがちょうど店の手伝いに来ていた。あのSさんだよと噂の主の来店を上さんに告げた。
彼女の興味の対象はSさんもあるだろうが比重はもちろん赤ちゃんであったのだろう。
十数年ぶりに抱く乳飲み子の感触。
メロメロやなあ・・・

孫とはこんな感触なのかもしれない・・・
などと、上さんにそっと言いながら、心配する若夫婦を横目に老夫婦は、しばらくの時間、孫の擬似体験をさせていただいたのだった。

また来てね。

懲りてなければ・・・

ちゃくちゃくと

小僧さんの前もずいぶんと様子が変わります。
参道らしさが醸し出されて参拝の方々に喜んでいただけたら嬉しいな。

今までじっと見てきたんです。

目黒のさんま

頂き物の話。

目黒の若旦那が久しぶりに来店された。
沈香のストラップということで小一時間。

まず、ということで手土産にとお土地柄のもの。
オヤ!めずらしい。目黒産のさんまだった。

お殿様もご健在のようで・・・


ほれ。さんまざんす。

あっという間になくなりました・・・

気を使わないでくださいね。
こんどはお茶を・・・とは決して申しません・・・し。