風神の家出

以前だと毎年今くらいから、突風がとんでもないところから吹いて、それはそれは寒いのなん のって。

雷門の正式名称は風神雷神門。

なのに通称には「風神」の名前はない。
肩身を狭くしているのである。

江戸の川柳に
「門の名でみりゃ風神は居候」
などと謡われるほどなのだから、実にかわいそうなものである。

ただ、強風は当店の泣き所でもある。

なんたって全天候オープンザドアー、
「どなたでもいらっしゃいいらっしゃい」の店だからである。

猫まで遠慮なく入ってくるんだから。
まあ遠慮する猫がどんなものか見てみたい気はするのだが。

閉めたらいいじゃないのと思われるかもしれないが、ドアーという名のものが、ガラス一枚でもあるのとないのとでは、入店率が雲泥の差なのである。

ゆえにある時期から扉はよほどのことがない限り前回状態である。
二度ほど過去に閉めたことがあるが、台風の通過に伴う突風と大雨の被害が甚大になる恐れを感じた時だけであったのだ。

その突風なのだが、この2~3年全く吹かなくなった。
店前に出しているワゴンすら飛ばす勢いは、いずこにか影を潜めた。
何故だろう・・・

温暖化?
ちょっと大げさな・・・

風神の家出。
たわいのない・・・
だったら戻ってこなくてもいいよ。

隅田川の花火が見えなくなるほど建ち並んでしまったマンション群のおかげ?。
ビル風の方向が変わってしまったのだろうか。

とにかく、ワゴンがひっくり返される心配は、ここしばらくなさそうである。

届きました

これこれ。待っていたんだ。
高野山からやっと届いた。
毎年いただいていて一番使いよい。

不況といわれる世の中だから、半分諦めかけていた。

世の中不況になると宗教はいいねと世間の評価だけど、
そんなことない。
心の部分は目に見えない。

今は苦しいからちょっと後でねとなってしまいやすいのでは。

さらに冷え込みすぎれば神も仏もあるものかとなってしまうのだろうか・・・

でました

ムディター新年号でました。

松原泰道先生の「えびす神と大黒天の会話」
種村健二朗先生の「死ねると思ったのに」
奈良康明先生の「自信と反省」

繭玉の準備完了はよかったけれど・・・

食紅を買ってきました。
持ちつきも準備はOK。
もち米も冷やかした。

さあ繭玉をつくるぞ・・・

と思いきや、柳の枝振りが多すぎてどこにどうつけていいかわからない。

少し枝をはしょる必要がありそう・・・

何せ始めての経験だから、手配が悪い。
おかげで一日、製作が延期となる。

今日こそは、作らねば。

でも正月が終わった後はどうしよう・・・
ドント焼きで焼く場所もないし・・・

都会はこれだから困ってしまう。

どうしよう・・・

メール復旧しました

メール環境修復しました。

ご注文、お見積もり、ご質問をいただきましたお客様、

ご迷惑をおかけいたしました。
本当に申しわけありませんでした。

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メール環境の復旧が遅れています。

申しわけありません。

お急ぎの場合は、お電話でお願いいたします。

大黒天

チベット仏教のタンカ(仏画)。
大黒天(マハーカーラ)です。
日本の大黒様を想像することはできませんね。

サイズ:75×98cm

お預かりしました。正月過ぎまでお店で展示します。
しっかり丁寧に描きこまれていて、なかなかの迫力です。

一之宮招き猫通りかな?

当店のメダカを食しに来る猫も
表では猫をかぶって人気者。

いらっしゃいニャーせ。

こんなことしてみて、可愛さをアッピールするだニャ。
人間はいちころさ。


ぼくが何しているかというとね・・・

こんなことしてるの。

そうするとね・・・
周りに視線が集まるの。

ジ~~~

ほらね。

ん?

招き猫発祥の我が町並木町(雷門2丁目)。

生きた招き猫にあやかって、

雷門一之宮招き猫通り

って言うのもいいんじゃない・・・

あるがまま

数日前、店から自宅に戻る途中、浅草観光で来られた親子なのだろう、二人で仲良く、観光センターのからくり時計を眺めている姿を目にした。
時報にあわせて壁に仕込まれている三社祭りの神輿の人形が演奏に合わせてせり出してくる、観光名所でもある。

どこにでもいる、仲の良い母娘だ。
ちょっとだけ違っていたのは、連れのお嬢さんが、(たぶん)重度の小児麻痺なのかな・・・車椅子を余儀なくされていたことだった。

口もうまく回らないようで、言葉がうまく出てこない。
母親は、そのたどたどしい言葉を先回りするわけでもなく、一言一言を受け止める。
観光地に来た興奮からか、落ち着かない彼女を当たり前に介護する。
あまりにもさりげなく。

不覚にも熱いものが込み上げて、公衆の面前にもかかわらず涙腺から零れ落ちてしまった。

相手には何とも失礼な話なのだが、僕とてこんな感触はめったにないことなのだ許して欲しい。せめて気付かれまいと上を向いて足早に自宅へ戻った。

それほど爽やかな母親の表情だった。

いかなる事象をも自然なこととして、あるがままに受け止める。
生易しいことではなかったはずだ。

教えてくれて、ほんとうにありがとう。