一之宮招き猫通りかな?

当店のメダカを食しに来る猫も
表では猫をかぶって人気者。

いらっしゃいニャーせ。

こんなことしてみて、可愛さをアッピールするだニャ。
人間はいちころさ。


ぼくが何しているかというとね・・・

こんなことしてるの。

そうするとね・・・
周りに視線が集まるの。

ジ~~~

ほらね。

ん?

招き猫発祥の我が町並木町(雷門2丁目)。

生きた招き猫にあやかって、

雷門一之宮招き猫通り

って言うのもいいんじゃない・・・

あるがまま

数日前、店から自宅に戻る途中、浅草観光で来られた親子なのだろう、二人で仲良く、観光センターのからくり時計を眺めている姿を目にした。
時報にあわせて壁に仕込まれている三社祭りの神輿の人形が演奏に合わせてせり出してくる、観光名所でもある。

どこにでもいる、仲の良い母娘だ。
ちょっとだけ違っていたのは、連れのお嬢さんが、(たぶん)重度の小児麻痺なのかな・・・車椅子を余儀なくされていたことだった。

口もうまく回らないようで、言葉がうまく出てこない。
母親は、そのたどたどしい言葉を先回りするわけでもなく、一言一言を受け止める。
観光地に来た興奮からか、落ち着かない彼女を当たり前に介護する。
あまりにもさりげなく。

不覚にも熱いものが込み上げて、公衆の面前にもかかわらず涙腺から零れ落ちてしまった。

相手には何とも失礼な話なのだが、僕とてこんな感触はめったにないことなのだ許して欲しい。せめて気付かれまいと上を向いて足早に自宅へ戻った。

それほど爽やかな母親の表情だった。

いかなる事象をも自然なこととして、あるがままに受け止める。
生易しいことではなかったはずだ。

教えてくれて、ほんとうにありがとう。

タイムマシン

夕方、
昔、兄弟のように親しくしていた友人が突然お店に現れた。

指折り数えたら30年振り。
お互い50の山を転がって行こうとする年齢。
面影は残っているのだろうが、眼も見えにくいし、
第一まじまじとなど見れない。

シャッターを閉めかけているところだったから、
今日最後のお客様。

と思ったとたん、手を振ってくる。
初対面の人に手を振られて挨拶する風習はないんだけど・・・

ニッコリ微笑んだ。

「あ!佐藤さん!じゃない」

笑顔は、時という法則を超える。

ひとつ発見した。

合掌

自慢じゃないが、語学は苦手。
いつまでもそうも言ってられないとは思うが。
そもそも中学の時につまずく。
「日本人が何で海外の言葉を習わなきゃならないの」
勝手な理屈と思えば理屈だが、着たるべく国際社会を気付くことができなかったと言えばそれまで。

勉強の為の勉強はとことんいやだっただけなのだ。
そのくせ数学や物理はとことん付き合った(自己弁護だが)。
答えが出るから面白かった。ただそれだけの理由なのだけれど・・・
まあ、根が気分屋なのだろう。

ところで、外人の観光客がすこぶる多くなった。
店にご来店いただくお客様も、半分以上が海外のお客様と言うときもある。
販売の現場である以上、逃げるわけにもいかない。
果敢にアタックして偈チンすることもあるけれど、
「誠意で事に当たれば道はおのずと開かれる」ようで

最後はめでたく喜んで店を後にされる。
履歴を見ると定期的にご来店くださっている海外のお客様も少数ではなくいらっしゃる。

今朝は、開店早々に海外のお客様がグループで来店された。
「グッドモーニング」と挨拶しながらふと見ると「墨衣」
数人は御髪があるが、あとは男女とも墨衣にスキンヘッド。
「写真とっていいですか」とカメラを見せられる。
「どうぞ」というとニコニコとしながら店内で仲間を写していた。
「どちらからですか?」と聞くと、「ブラジル」と応える。
そこから修行を兼ね日本にこられたのだろう。

そんな話をするととたんに打ち解けてくれる。
それは良いのだが、言語の土台がないから、砂上の篭絡では残念ながら話が盛り上がらない。

そんなときは合掌する。
仏教徒だもの、これは万国共通・・・
自然につなぎになってまた話がつながる。

といった様子で、お買い物を終えて、「またね」とばかりに店を後にされた。

それにしても国際色豊かになったものよのう・・・

ぼくのジンクス

今日は仏壇を鶴見まで納品に行く。
雨が・・・いや、台風が近づいてパラパラ降っている。

けど、心配ない。

仏壇の納品時に雨が降るわけがないから。
ぼくのジンクスは崩れないだろう。

雨男の言う言葉ではないけれど・・・

・・・・・・・

先ほど帰ってきた。
鶴見のお客様のご自宅までは、高速を走る車のガラスにぱらぱらと雨跡が残る。

高速道路を降りる頃はワイパーのスイッチを切れるほど
運び込むころには・・・あ~ら不思議、止んじゃった。

汗まみれになってセッティングして、
外に出てみると、もうザーザー降り。

また、ぼくのジンクスは延命されました。

ヘビーブーム

蓮の花を目的に作った水盤なのに
主役を交代して久しい。

めだかも近所の猫に強制的に半減させられて、
わずか7匹。

自然の力は偉大だ。

生命の継承が次々に行なわれている。

宝もの

全く無知蒙昧な僕が曲がりなりにもやってこれたのは、
厳しくもあり、嬉しくもあるゲストであるお客様との縁ゆえである。

考えてみると、ものづくりの端っこに、
今の念珠創り仏具創りの仕事を選んだことに感謝できる。

今までどれだけ多くの人と不思議な縁を持つことができただろう。
それが僕の宝なのだ。

一部には商売を金儲けのみ、
その手段と考える方もいる。

儲けが人生であるとして生きる生き方。
楽しい暮らしができると信じている。
はあ・・・それも一理ある。

けれど全てじゃあない。

だって楽しい暮らしってなんだろう・・・
つい思ってしまうのだ。

自分は汗水流すこともなく家来に傅かれ悠々自適の生活?
しごとはせずに遊んで暮らす?

いったいいくらあったらいいのだろう・・・

上を向いて暮らすことは決して悪いことではない。
だって明日の保証もなく泥水すすって生きるよりはいいもの。

けどね、騙しの中からあぶくのように浮いたお金で暮らすことの不安さより
汗水の裏書された小銭のほうがよほどよい。
しっかり足を地に根付かせて生きるほうがどれほどよかろうかというのだ。

物はいつか消滅するものだ。
名誉も財産もそう。

でも・・・人とのつながりは、生涯いやいや三途の川を渡っても、
持っていけると信じている。

だから、縁の初めは何にせよ、
そのつながりは、消えることのない、
色褪せることのない宝物だと思えてならない。

電話帳

この季節になると
「電話帳広告を来年もいかがですか?」
と、来年の広告枠のことでお誘いの電話が入る。

以前は、とにかくさまざまな広告を予算の許す限り試してきた。
電話帳もしかりである。

さて、石原氏を起用してNTTがさかんにイエローページの宣伝を行なっている。
あれってあのあと本当に直したり、片付けているのかなあ・・・
だれがお金払うんだろう・・・
なんて思っている。

まあ、それはこっちに置いておいて・・・

ひところと違ってここ最近、電話帳を活用する人がどれほどいるだろうか・・・
と考えてしまう。

電話帳を利用してもらうターゲットはどの層なのだろうか。
しかも毎年毎年、あれだけの冊子を無料で配り・・・
地球規模でもったいないと思ってしまう。

自分がいい例だと思うが・・・
ネットを利用してしまっているから、あまり良い例ではないかもしれないが、
過去10年間、電話帳を開いた記憶がない。

そういえば一度だけあったかな・・・
ビジネスホテルを利用するのに旅先の電話ボックスで開いた。

もし電話帳が有料化されたら何人の人が買うだろうか・・・

また、この電話帳の制作費は通話料などの価格に上乗せされているのかな・・・
まあともあれ、

使用する人がどれだけいるのだろうかと考えてしまうと
また三行広告で済ませてしまうか、そろそろ潮時なのかとも考えてしまう。

メール不調

メールの調子が悪くて受信ができません。

ごめんなさい。

急いで直しています。
もう暫くご猶予くださいませ。